蝉の声が聞こえ
冷蔵庫が夏野菜で埋まって
空は曇天続きだけれど
それでもやっぱり夏が来た
蝉の声を聞いたのは一昨日の昼間であったが
今年初めてのそれに
少し季節がずれ込んで
また学生ではなくなり夏休みという定めもないことから
これまた否応無しに夏を感じざるを得なかった
夏野菜が大好きで
ナスにオクラ、かぼちゃにピーマン
毎年食卓にそれらが並ぶと夏を感じた
そして秋が深まってきても
一向に夏野菜を欲し
コートを羽織ると同時に
それらは食卓から消えていく
なので本日
冷蔵庫の夏野菜を見て
あら、もうそんな季節?
と動揺してしまうたのも
季節感のない去年の食卓のせいであり
夏野菜を特に愛する私のせいでもあった
さて話は変わるが
私はとても影響されやすい人であるので
エッセイを書いていても文章の書体がしばしば変わるのであるが
今は谷崎潤一郎の『細雪』を片手に1日を過ごしているために
少しばかり古い書体で書いてしまうことを許していただきたい
『細雪』を古本屋で購入し
パラパラとめくっているうちに
世間体や他人の目を気にするといった日本特有の癖が
何とも細やかに描かれ
それに共感するとともに矢張り
たった100年ほどしか経っていないのに
こんなにも日本のしきたりや文化が失われたのかと
少し驚いた
というのも
蒔岡家の四姉妹のうちの3番目の雪子が
中々見合いがうまくいかず30を過ぎてしまい
他の親類が「他の家からどう思われるであろうか」とそわそわしているのだが
まず見合い婚というものがこの100年でにわかに失われつつある文化であることを感じた
見合いと一言に言っても
私たちが想像しているような会ってみて気が合えばなんていう軽いものではなく
家のものが総動員で相手の国元まで人をやり、性向や人柄まで調べあげた上で初めてお目にかかるという、とても苦労のいるものである
私自身、田舎の古い農家の生まれであるために
本家・分家、姉妹の上から順々に結婚すること、家長がすべての決定権を握り女・子供はほとんどそれに従うしかないことなど、昔ながらの日本特有のそれが何となく幼い頃から身についており、私の親の世代までは見合い婚が普通であり、その見合いも矢張り相手の国元まで人をやり丁寧に調べあげた上で行われていたのであるということも知っていた。
というのも、私の伯母にあたる人は長女であるために見合いを迫られ、当時付き合っていた恋愛相手とは別れさせられ、無理矢理にでも将来有望であるとされた男性と見合いをしたそうだ。
そうして、伯母はその男性と縁があり婚約しようとした最中、相手の男性の健康状態に難点があるということで家族に結婚を止められたが、長女で気が強い伯母は「もうあなたたちの言うことなど聞きません」と言わんばかりにその男性と結婚し九州へ行ってしまった。
そう言う話を、幼い頃から何度も聞いては「ふむふむ」と納得していたのであるから
もし私が間違って100年前に生まれていたら、今頃適当な男性を家族やら親類やらが見つけてきて見合いをさせられ、いそいそと嫁に行っていただろうと思う。
そんな日本特有のしきたりや家父長制をこの本は蒔岡家という大阪の旧家を通して伝えているのであるが、もう今ではほとんど通用しないものばかりであることに気づかされる。
しかし、「他人の目を必要以上に気にする」という日本人の癖はコロナウイルスの出現でまたもや顕著に世界に広まったと思われる。
世界の各国がこのウイルスを脅威としながらも、マスクもしないで密な場所へ出かけているのをテレビで見ていると「なんで」と言わざるを得ない。
そういった点で考えると、日本人は外に出るものはマスクを必ずし、密を避けるよう努力を重ねているように映る。
それは「うつされたら嫌だ」というよりも「自分がうつしたら嫌だ」という意識が大きいからであり、それは引いては「他人の目を気にする」国民性を象徴しているように感じる。
蒔岡家が世間体を気にし、雪子の縁談に家族全員が気を揉んでいるという図式から
今のコロナ禍での日本の図式をまたもや発見できるのである。
この100年で変わったものは確かに多く、またその影響も計り知れないほど大きいが
日本人の根幹にある考え方や物の見方はそんなにも変わっていないのであるなと感じた次第である。
ちなみに最後になるが
古本屋に立ち寄った際、『細雪』は上・下巻しかなかったために私は全2巻だと思い込んで
つい先ほど下巻を100ページほど読み終わったのであるが
何かがおかしいと感づいて、調べてみると中巻というものを飛ばして読んでいるらしいのだ。
中巻には、約2年と少しの期間の蒔岡家の様子が描かれているそうなのだが、それをすっ飛ばしてもう100ページまで読んでしまったため今更どうして良いか頭を悩ませている。
というのも100ページくらいまでは、何の違和感もなく読んでいたのであるが、四姉妹の末っ子の妙子の恋愛話が持ち上がった瞬間、私の知らない物語があたかも知っている風に描かれ始めたので驚いた。
ただでさえ本を読むのが億劫な私が意を決して取り掛かったこの読書だが、この中巻をどうしてやろうかという考えが浮かんでから全く読む気をなくしてしまった。
机には読もうと思って借りた・買った本がずらりと首を長くして待っている。
積読になりかけている私の耳に蝉の声が聞こえ始めた。