さようなら埼玉、生まれ故郷

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親もその親も、墓を辿れば江戸時代まで私の家系は埼玉県に生を享けてきた。

埼玉の真ん中は、何もないただ平野が続くだけの自然豊かな場所だ。

見渡す限りの畑の中で幼少・少女時代を過ごした私は、高校を卒業するとともに逃げるように埼玉県を出た。

 

横浜はそれはもう素敵なところだった。

初めてランドマークタワーを見上げた時は恐怖さえ感じるほど、その高さに驚いた。

馬車道のレンガに感動して、山下公園の優雅さに憧れて、やっぱり横浜っていいよな~と思った。

『ブルーライト・ヨコハマ』などに歌われるような恋愛情緒がよく似合うな~とも思った。

 

一方、埼玉には何もない。

絵にもならないため、誰もこの県に恋愛情緒を歌う人はいなかった。

 

そして横浜には、何より海があった。

海への憧れを語る時、私はどうしても埼玉県民であることを自覚せざるを得ない。

テレビでもよく埼玉県民が海への憧れを語っているが、これはもう県民性なのではないかと思うほどに埼玉県民は海が大好きだ。

 

ディズニーランドに行く時、皆ワクワクするでしょう。

私もそれはそれは楽しみにして行くんだけど、電車から東京湾が見えた時にいつも「はっ」と息が止まる。

東京駅から、京葉線に乗り換えてよく分からない駅を通過していると急に地下から地上に出て、右側に東京湾が広がるあの瞬間。

「これから夢の国に行く」というワクワクと「海の雄大さ」に対する感動が入り混じって、海の思い出の中でも最も好きな瞬間だ。

「わあ~~」と声にでも出してしまいそうなほど大好きなのだ。

(隣に誰か友人などがいれば実際に声に出している。)

 

海に関していえば、『浜辺の歌』が好きなことも海への憧れから来ているのかもしれない。

私の中で『浜辺の歌』の浜辺とは湘南あたりの海を想定している。

朝に、夕方に浜辺を歩くと昔のこととか昔愛した人とか思い出すよね~という歌詞だが、私も同感である。

というか昔どころではなく、前世にまで思いを馳せている。

 

私は平安時代らへんに生きていて、あの湘南の浜辺を歩いている。

1000年前も今も、変わらずに海は私のことを見ていてくれる。

あの時代から概念も着るものも、恋愛も生きる意味も全てが変わってしまったけれど

この海だけはあの頃と変わらないわね、という感じである。

 

約100年前に作られた歌だが、もはや前世の私が書いたのではないかというほどに運命を感じている。

竹下夢二が表紙絵を担当したのも、なかなか当時としては粋な計らいではないか。

この曲にまつわる全てが大好きだ。

 

というように、埼玉県民であるがために海を愛し

埼玉県を嫌悪し、この県に骨を埋める気はないとまで宣言しているが

未だに埼玉県を出ることはできていない。

埼玉県の真ん中で、カエルの合唱を聴きながら20代という輝かしい時代を生きている。

 

今は嫌悪の対象であるが、自分が死ぬ時に思い出すのはやはりあの自然豊かな田舎町だろう。

秩父連山に沈む夕日や、カエルの合唱、三時のお茶の時間、重いランドセルを背負って走った畦道や友人の声、死ぬ時になったらきっとこれらを思い出して静かに眠りにつくのだろう。

 

それでも死ぬ時は、港区か横浜の海の見える病院がいい。

そしてそのまま、骨も東京か横浜に埋めてほしい。

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