恋煩いは、もはや治療不可能な病である。
彼のことを考えると、ご飯も満足に喉を通らない。
急に”うっ!?”となる。
彼だけで満腹なのだ。
常にポケ~っとしており、気づいたら1日が過ぎている。
それでも夜も寝るまで彼のことを考えている。
そういう日に限って夢には出てきてくれない。
インスタグラムやツイッターの彼のアカウントを何度も見ている。
会っている時間よりも、会わない時間の方が好きが増殖していく。
写真や妄想で過ごしたのち、彼に実際に会って見ると
「あれ、こんな感じだったっけ?」なんて思うこともある。
妄想の彼に恋しちゃっているのである。
青春という名の電車をとうの昔に降りた私には、この恋煩いがとても苦痛になってきた。
とにかく疲れるのだ。
一日中妄想したり、彼のことを考えたり、頭が疲弊する。
だから恋煩いの薬が欲しい。
彼への思いが減るのならば、なんでも飲むだろう。
この切ない胸の痛みが減るならば、今すぐにでも処方箋をもらいにいくだろう。
病名の欄に”恋煩い”と書かれても、致し方ない、恥さえも捨てて病院にいくだろう。
中高生の頃はこんなことはなかった。
恋に恋していること自体が大好きで、その時間さえ愛おしくて、”ザ・青春”を体全体で感じていたのだ。
彼を一目見るために、校舎を走り回ることだってできた。
彼と話すためなら、早起きをすることだっていとわなかった。
もうそんな体力も気力もない。
だのに、心だけはいっちょまえに恋煩いをするのだ。
でも恋をしていないと死んでしまう気がして、やめられない。
マグロが泳ぐのをやめたら死ぬように、私は恋をしていないと死ぬらしい。
だったらいっそ、捕獲されて鮮魚のまま高級な寿司屋のガラスケースに並ぼう。
若干23歳でこんなこと言っていたら、婚期を逃しその上恋すらも面倒になり、老後は数少ない友人の死を見届けながら孤独に死んでいくことになる。
「恋するには遅すぎると言われる私でも、遠いあの日に迷い込みたい気分になるのよ」
と竹内まりやが歌っているが、恋するには遅すぎる年齢とは何歳なのだろうか。
この歌詞に共感してしまうということは、もはや私は恋するには遅すぎる年齢なのかもしれない。
恋に疲れてしまう日が来るなんて夢にも思わなかった17の夏。
ありふれた恋愛ソングに胸打たれ、黄昏の空を潤んだ瞳で眺めていたあの日。
彼の一言、全ての動作に胸ときめかせ恋に躍起になっていた春の風。
私の分まで、恋に恋して夢を見て。
全力で駆け抜けろ、青春を生きる全ての乙女たち!