池袋、東武7階

今日は床を這いつくばって働いたので、家に帰る頃には珍しくぐったりと疲れて早くベッドの中に潜り込みたかったのに、潜ってみたら目が冴えてしまってこうやってパソコンに向かっている

思い出を遡ってみると、いつも同じ場所を通り過ぎる

そこは、池袋、東武デパートの7階

小学生の頃、私たち家族は月に一度は車に乗って都会に出かけていた

高速を降りるとカニ道楽の看板がいかにも東京にやってきたという感じがしたし、少し走れば池袋のビル群がどんどん大きくなり、埼玉の田舎町の家族はこの瞬間に都会を感じていたのだった

大学生になってからは、池袋などただの通過点であり、遠い昔にこれが都会の全てだと思い込んでいた自分が恥ずかしくもあるのだが、それでもあの頃の私にとって池袋の東武デパートは東京そのものだった

車を走らせるのはいつもパパで、ママはその隣でいつも寝ていた

隣に座る弟のことは何も覚えていないが、東武に着くとパパと一緒に西武デパートの屋上に金魚を見に行っていたから、いないはずはなかった

私は昔から車窓を流れる景色を見るのが好きだったため、高速を降りてからカニ道楽、遊び場のあるマック、誰だか知らない政治家の看板など目的地までの地図を頭に描いて車上を楽しんでいた

東武デパートに着くと(今でも鮮明に覚えているが)まず立体駐車場に車を止める

この立体駐車場、いかにも都会って感じ、中がどうなっているのか未だに不明

そこから徒歩で東武デパートの入り口に到着する

私たち女子は買い物目当てに東武デパート、弟たち男子は金魚目当てに西武デパートにそれぞれ散っていくのだった

小学生の私のとって東武デパート7階は天国そのものだった

当時のことを覚えている人がはたしていてくれるだろうか

メゾピアノが大好きだった私はまずそこで洋服を一枚調達し、サンリオ片目におもちゃ売り場へ一目散にかけて行った

メゾピアノよろしくエンジェルブルーも好きだったが、ちょっとませて最終的にはポンポネットに落ち着いた

ポンポネットなんて久々に口にした

おもちゃ売り場はなぜか壁が黒で統一されていて、そこだけ魔法の国のような空間だった

ジブリの人形もあったし、マジックの道具も売っていた

高学年になる頃には、メゾピアノのキーホルダー店が登場し、ちょうどませ始めた私はその小さいキーホルダーを丁寧に選び(値段も甘味しながら)買ってもらっていた(あれらはどこに行ったのだろう)

どこもかしこもおもちゃで溢れていたあの一角は、今ではスポーツ用品店が立ち並んでいる

それに気づいたのは数年前、通路だけ面影を残してあとは全て様変わりしていた

なんども足を踏み入れた場所は店や雰囲気が変わってもなんとなくわかるものだ

幾度となく歩いた通路で、あのアクセサリー店の前を通り過ぎ、ジブリの人形が並べられたコーナーを覗いて、マジックの道具が怪しく売られていたロータリーまで全てを思い出しながら、その変貌に深く傷ついた

今の子供たちは、東武デパートの一体どこでおもちゃを選んでいるのだろうか

今では東武デパートにももっぱら足を運ばなくなった

もっとも、デパートで何かを買えるお金もない

子供の天国、池袋がただの乗り換え地点にすぎなくなってから私は大人になった

駅構内からの池袋と東口からシャンシャインまでの繁華街は、幼い日の私の知っている池袋ではなかった

東武デパートの7階だけでなく

何もかも変わってしまった

家族四人で車に乗ることも、カニ道楽の看板を過ぎる時いつもママが「夜になったらあのカニがあなたたちのところへやってくるのよ」と冗談を言うことも、ちょっと寄り道にあのマクドナルドに寄ることも、車窓から誰だかわからない政治家の看板と都会の入り組んだ道路を垣間見ることも、もうないのである

昨日のように思い出される日々は、実はもう10年以上前の出来事で

スポーツ用品店の通路で独り残された私は、出口もわからず迷子になってしまったのだ

駅からどう行けばいいのだろうか

あの立体駐車場も今でもあるのだろうか

少しでも変わらないものがあってくれれば、今日は安らかに眠りにつけそうである

コナンと江戸川乱歩

江戸川コナンに恋をしたのはきっと私だけではないはずだ

 

一年生になるまでは、素敵なお兄さんで

とうに小学一年生も高校一年生も超えても彼は永遠に素敵なお兄さんである

 

今、日本の映画を支えているのはコナン君と言って過言ではない

邦画興行収入ではいつだって上位にランクインしているし

それは大人も子供も、そして何度も見に行く人がいるからである

実際、大人も子供も楽しめる映画なんて他にあるのかなぞとも思う

 

さて、話はそこに執着してみよう

「なぜ大人も子供もコナンにはまってしまうのか」

私はこのことについて一つの仮説を立ててしまったので、とても満足しているし

もっと前に気づいていれば卒論にしたかったくらいだ

 

でも卒論のように文献で調べていないので、私の感覚だけで探り当てた仮説ということにしてください

真実は一つではないのです

 

コナンには二つの視点がある

子供と高校生(大人)の視点である

子供が観る時には少年探偵団と同じ目線でアニメの内容を見る

大人が見る時にはコナンの中の大人の部分で事件真相に迫る

故に大人も子供もコナンにはまってしまうのだ

 

私たちのようなコナン世代がコナンの映画やアニメを見る時、「なんだこんな子供っぽい映画」なんて思わないで見れるのはそうしたコナンの大人の部分で見る術をいつのまにか習得したからなのではないか

 

例えば、クレヨンしんちゃんを例にあげよう

一体何歳までクレヨンしんちゃんのために劇場へ足を運んだだろうか

私は高校三年生まで足繁く通っていたが、その時映画館には高校生は一人だけであとは親子連れだった

内容も、まあ確かにつまらなくはないけれど子供の時のようなワクワクはなく、自分の年齢としんちゃんのズレを確認した

 

コナンが二つの目線を持っているというのは、江戸川乱歩の小説に似ているなあと思う

 

そこで卒論のテーマは「名探偵コナンと江戸川乱歩の二つの目線」とでもしておこう

(論文の題名を考えるのは苦手だ)

 

江戸川乱歩の探偵小説は大きく分けて二つある

子供向けに書かれた少年探偵団もの

大人向けに書かれた私立探偵もの

 

江戸川乱歩作品の名探偵といえば明智小五郎である

そしてその探偵の助手が小林少年率いる少年探偵団

 

子供向けの作品では少年探偵団の活躍で事件が解決するため、子供からしてみれば同じ年くらいの少年達が主人公で物語に入りやすいのだ

一方、大人向けの作品では明智小五郎という私立探偵が怪奇事件を解決していくため、丁度高校生がシャーロクホームズを読み出すように、私たちがエルキュール・ポアロの推理に酔いしれるように明智小五郎の名推理に大人達は酔っていくのである

 

子供が大人向けの江戸川乱歩を読むと難しくてついていけないし、大人が子供向けの江戸川乱歩を読んだら物足りないのである

 

この二つを足したのが江戸川コナンという存在だろう

 

構成も江戸川乱歩の小説にそっくりだ

毛利小五郎という私立探偵の元でコナン率いる少年探偵団が事件解決に尽力する

私はこの毛利小五郎というのが、コナンが大人も子供もはまってしまう要因に一役買っているとみた

 

子供はコナンを小学一年生のコナンや少年探偵団の目線で見るから物語に入りやすい、子供向けのアニメとしての条件を揃えているから子供がコナンを見るのはなんら不思議ではない

 

しかし大人はなぜコナンを見るのか

それは先にも述べた通りコナンに大人の目線が入っているからである

コナンは見た目は子供だけれど、中身は頭脳明晰な高校生探偵なのだ

ここで重要なのは、毛利小五郎があまりにも情けなさすぎる探偵だということである

本当ならば名探偵の助手という少年探偵団の位置にいなければならないのに、毛利小五郎が情けないのでコナンはその頭脳を使わずにいられない

だからコナンは毛利小五郎(大人)のお面をかぶって事件を解決するのだ

 

つまり、コナンは名探偵の助手の小林少年的位置にありながら

主役である明智小五郎探偵の位置にもある

 

江戸川乱歩が子供向けと大人向けの小説を分けて書いたものを、コナンはうまく一つにしているので子供も大人もはまってしまうのではないかという一仮説ができた

 

コナンに時期になると私の周りの友人も毎年ワクワクしながらコナンを観にいく

私もコナンだけは子供の頃から見続けている

大人も子供も楽しめるなんて、なんて効率的な映画なんだろう

中秋の名月

私はとにかく早く家に帰りたいので

その一心で自転車を転がしていた

 

時計の針が20時を指した瞬間にバイト先から飛び出し自転車に飛び乗るっ

早く家に帰りたいっ

ただそれだけだ

 

特に見たいテレビがあるわけでも

お腹が空いているわけでもなく

ただ早く家に帰りたいのだ昔から

 

だから爆速で秋の夜をかけていた時

そうか今日は中秋の名月か

とはたと思い出した

 

見上げると、なんてきれいなんだろう

雲ひとつない空にまん丸のお月様がこちらを見下ろしている

 

そんな干渉に浸っていると今度は

金木犀の香りがどこからか湧いてきた

 

自転車の風の中に一瞬で広がったそれは

容易に鼻から離れるわけでなく

ただ私を夢の中へつれてゆくようだった

 

金木犀の香りになんの思い出もないのに

何故こんなに懐かしく感じるのだろう

 

運動会

なんだかそんな感じがする

小学校の運動会は10月だったような

だから金木犀香る中きっと運動会は開催されたのだろう

 

運動神経がない私にとってなんの輝きもない催し物だが、それでも非日常的なそれはいつでも心をときめかせた

普段は教室の中でひっそりしている椅子を外まで持ち運んで、紅組と白組に分かれて座る

子供ながらに勝負事に白熱し、しかしながら自身は何も貢献しないまま運動会は過ぎてゆく

お昼にはお母さんが作ったお弁当を保護者席で頬張り(隣には友人が同じように親とご飯を食べ、好きな人の家族を探し、たまたま近くに座っていたりすると無闇に出歩いていた)

午後の大玉転がしで盛り上がりは最高潮に達し、運動会は幕を閉じる

 

金木犀の香りはそれを思い出させる

 

自転車はかけてゆく

器用に人や車をかわしながら

それを操るのはただ一心に

家の扉を目指す若い女の影