マイナス三千円の幸せ

お金がない

 

これは行きたくない飲みの誘いの断り文句ではなく、現実である

実際この断り文句はかなり使ったし使われた

要は「あんたにかける金はねぇよ」ということなのかもしれない

 

しかし、今の私は事実としてお金がない状況に陥っている

お金がないといっても、「まあ1万くらいはまだ残っているけれどそろそろセーブしないとやばいな」という状況でもない

今の私は1万円あれば、豪遊できる

 

来月の給料日までに自由に使えるお金、つまりこれが生活を豊かにし心を満たす源である

それが今の私はマイナス三千円なのだ

もうすでにマイナスから始まっているのがなんとも現実味のある憂いを帯びている

 

お金の話はあまりするなと厳しく育てられてきたが、お金があれば狙われたり妬まれたりするのでしないほうがよろしいかと思われるが、ない場合はもう失うものもないのでしてしまおうということになった

多くの成功者が「昔はお金がなくてね、へへへ」と笑い話にしているのを、私は現在進行形で笑い話にしてやろうという意気込みである

 

さて、マイナス三千円からのスタートに疑問を抱く

私の予想では1万円くらいは自由に使えるお金があったはずである

それが10月のクレジット決済にやられてしまった

くそっ

 

10月の初めに久しぶりに飲み会を行なった

その時に皆の分をまとめてクレジット決済したのを忘れていたのだ

皆からはもちろんお金を回収したがその金などとっくのとうに使っている

その後に九千円の加湿器を買ってしまったので、クレジット決済が3万円弱になっていた

これを私は三千円くらいだろうと見積もっていたため、ゼロが一つ増えて目ん玉が飛び出るほど驚き狂うた

 

飲み会というのは思ったよりも出費する

今年はコロナの関係で、飲み会に行く回数がぐんと減った

去年の10分の1くらいである

というか、その10月の一回と1月に同じメンバーで控えている飲み会があるのみだ

コロナになってからは2度しか友人たちと顔を合わせて飲んでいない

 

なので今年はある意味ラッキーであった

飲み会が少ない分出費もない

 

のに金がない

いやはやもはや、どうなっているのかもわからない

 

バイト代月に入ってくるのは10万円

まずそこが少ない、けどしょうがない、私はドリーマーだから金がないのが取り柄だ

そこから2万5千円が母の元へゆく

これは社会人になった義務である

むしろ2万5千円で、路頭に迷わず食うものに困らないのはとてもありがたい

残りは7万5千円

しかし、7万円は貯金に回る

夢への投資だ(とかかっこいいことを言っているが、計画性がないのでこんな無茶な貯金をしている)

 

残りは5千円である、これが来月の給料日までに自由に使えるお金、つまりこれが生活を豊かにし心を満たす源である

こういう時に節約術というのは生み出される

とにかく金をかけない、洋服を買わない、図書館で本を借りる、自転車を乗り回す、無駄な移動はしない…etc

 

お金はないが、かといって不幸なわけではない

ということはつまり、私の場合はお金の量がイコール幸せな訳ではないということだ

このことがわかっただけでも十分である

(ないよりあった方がいいが、あるからといって幸せになれるわけではないということである。宗教の勧誘が来ないようにこうして予防線を張っていないと、誰がいつどこで何を言い出すか油断ならない。)

 

2月20日の給料日までこれが続く

その頃にはコロナも落ち着いていてほしい

そしたら友人をたくさん誘って夜明けまで飲み明かそう

音楽の世界は狭い 〜初恋の回想〜

初めてのキスは思っていたよりも甘かった

 

初めての彼氏は思っていたよりも変な人だった

変な人だと言ったら語弊があるかもしれない

素敵な人だった、ただ中学生にしては変だった

 

部活の先輩だった

40人の吹奏楽部にオトコが3人

争奪戦の始まりだ

一人イケメンがいたが、もう彼女がいたし対象外

一人元気のないもやしコナンくんみたいな人がいたが、クールすぎて話せない、いちばんの人気者

そして残ったのが、彼だった

 

彼は口から先に生まれたのではないかというほどおしゃべりで目立ちたがり屋だった

部活の休憩中は皆の前に立って黒板にミッフィーの顔を書き

「ミッフィーが口を開けるとこんな感じ」とグロテスクな絵を描いていた

 

付き合ってから知ったことだが、友人たち数人と新聞社を立ち上げ、勝手に作って配っていたらしい

ちゃんとプロマイドまであった

腕組む彼の写真の右下には新聞社のロゴがついていた

 

かなり変だったので、私が好きだと皆に相談した際は多くの反論が飛び交った

が好きになってしまったのだから仕方ない

あとから聞けば、彼だって相当モテていた

40人の部活にオトコ3人である、当たり前と言えば当たり前なのかもしれない

 

付き合う前の話である

コンクールの帰りのバスで通路を挟んで隣に座った

大好きな、憧れの先輩が、なんと、こんなにも近くに、吐き気がするほど嬉しい

が内気なので話しかけられなければ話さなかったが、なんせ口から生まれた彼は私の秘めた乙女心も知らず(この時には噂は漏れ、知っていたようだが)話しかけてきた

その時なぜか大阪弁に憧れていた私はそのことを話すと

「へ~じゃあ今度教えてあげるよ、大阪弁は話せないけど東北弁なら話せるから」という意味不明なことを言っていた

急にパンッと手を叩いて「蚊が取れたっ、誰かの血吸ってるけど蚊に食われてない?」と聞いてきた

それでも私は彼のことが好きで、引退する時に渡す手紙の中にラブレターを忍ばせて渡したのだった

 

まあ、私が告白して失敗するなどあり得ないため、彼と付き合うことになった

(以降、私の告白は5連続で失敗することとなる)

 

彼との連絡手段は手紙である

彼の下駄箱と私の下駄箱で愛を育む

毎日下駄箱を見るのが楽しみで、彼の手紙が入っていたら死ぬほど嬉しかった

 

誕生日には、桜柄のクオカードとその新聞社のペンをもらった

手紙には「イラついた際にはこのペンをバキバキに折ってください」と書かれていたので

別れた時にバッキバキにしてやった

 

初めてのデートは、生意気にもディズニーシーだった

二人でレッドアロー号に乗り、浦安で降りてバスに乗った

途中「さくら通り」というところを通り、彼が腕をツンツンしてきた

可愛い

 

タワテラに並んでいるウブな私たちは、熱々の大学生カップルに挟まれてとても気まずい時間を過ごしていた

前のカップルがイチャイチャするほど心が凍りついてゆく

ちょうどその時友人からライン「外部顧問の家の前にパトカー止まってるナウ」

どうにかこれで乗り切った

 

ディズニーシーでは手を繋ぐことになっていたが、ウブな私はそれさえもまだ恥ずかしくって

結局最後の10分だけ繋いだ

彼はバスに乗るとすぐに「手汗の成分」を調べていた

なんか言っていたが覚えていない

 

彼が高校生になると会えなくなって別れた

最後に会った時に初めてのキスをした

それが彼が私を見つめた最後だった

永遠に彼には会えない、なんとも切ない終わりだった

 

風の噂で、彼が音大を受けていることを知った

友人が大学で彼と同級生になった

一浪したから同級生

 

大学一年の7月その友人が「えっ!!あの森ちゃんがさっぴぃの元カレ!?」

そうなのである、音楽の世界は狭い、甘く苦い青春さえも網羅する

私もその大学に行こうとしていた、行かなくてよかった

 

中学生の私とは永遠におさらばだ

あと、彼には別れた後も「あなたのことは一生忘れません」と送っていたため合わせる顔がない

高校の友人も、高校での私の恋の悲劇を知りつつこのことまで知ったらきっと腹を抱えて笑い転げるであろう

 

これが私の初恋

せっかち入門、色気破門

せっかちに生きてきた

 

せかせか歩いているからナンパにも引っかからない

私に魅力がないからではない

せかせか目的地目指して歩いているからナンパ師も「あの子には声をかけないようにしよう」と、私とナンパ師の間ではそうゆうことになっているのだ

 

一人の時間、買い物にでもいくかということもある

池袋のジュンク堂とかに行ってみる

せかせかしたせいで開店前に着いた

私以外にもせかせかと開店前のジュンク堂にきた人たちがいるらしい

その人たちの後ろに並び、一緒に時計の針を数える

セカセカセカセカ

 

ガラガラっと格子が開いてやっとオープン

目的はない

ただ「買い物にでもいくか」と思い立ってきたのだから

 

せかせかと雑誌売り場にでも行ってみるか

特にめぼしいものはない

ふぬ

では三階のビジネス本のところにでも行ってみるか

あなたの習慣が人生を変える?笑わせないでよ

ふぬ

では九階の芸術関連本のところにでも行ってみるか

気になっていた本は見つからない

ふぬ

エレベーターで一階まで降りてそのまま駅へと向かう

せかせかせかせか

 

そういう性格なのだ

いつだってせかせか生き急いでいる

何をそんなに求めているのか、心に問いかけてみよう

 

瞑想をする

せかせか

呼吸を感じてぇ、今を感じてぇ

せかせか

目を閉じてぇ、雑念を消してぇ

せかせか

ユーチューブの瞑想の声「それではそぅっと目を開けていきます」

ピカっキラリン

「おだややかであたたかぁい呼吸がながれているのを感じ」

ぐうぐうぐうぐう

「瞑想の時間を終わりにします」

ぱちっピッピッピぐうぐう

 

毎日寝る前に行っているが、最後の時にいつも”私、せっかちなんだよね”と思う

「~~~感じ」から「瞑想の時間を終わりにします」

までたっぷり時間をとってある7秒くらい

その間に夢を見たこともある

はっ、まだ瞑想終わってなかったのかっ

 

せっかちだからヨガとか瞑想とかに向いてない

小説を読むのとか、長い映画を観るのとかにも向いてない

ご飯は誰よりも早く食べ終わる

それでもせかせかしない時間も欲しいから、そうした時間を設ける

 

せっかちだから色気がない

ゆっくり動けば気品が出る

そうだ、だから今日からせっかちはやめよう

そうだ、私は色気のある女になろう

 

せかせか

ジュンク堂に行って「色気の出し方」みたいな女性エッセイ本を探そう

せかせか

書いてある、「ゆっくりとした動きを意識すること」

せかせか

一通り目を通して本を棚に戻し駅に向かう

せかせか

 

せかせか

母の子育て

弟が先月の23日で20歳になり、ようやく成人した

私も23歳、弟も20歳

書面上では、母は母親としての役割は終えたのだ

 

しかし、今日弟が救急搬送された

 

大事には至らなかったが、本日の大きなニュースである

それを知った時私は不覚にも寝ていた

母は「なんか、かず(弟)が救急車呼んだらしいから帰るわ」と寝起きの私に告げ、職場からとんぼ返りしてきたのだった

 

なぜ私が寝ていたかというと、まあ、朝が苦手ということもあるけれど

三連勤のバイト明けの休日だったのでできるだけ寝ていようと心がけていたからであった

 

というのも、つい三日前

私は家でまたパニック発作に襲われたので、きっと疲れが溜まっているんだろうと

先週の温泉づくしをなかったことにし、寝ることでまた疲れを癒そうとしていた

 

三日前のバイト終わり、私は閑静な夜の住宅街を大きな歌声で包みながら自転車をこいでいた

♪~泣き出してしまいそう 痛いほど好きだから~♪

テレサ・テンの『別れの予感』である

一週間前にテレビで歌われているのを見た、母の十八番

それゆえ、小さい時に良く聴いた懐メロである

 

♪~あなたをこれ以上愛するなんてぇ~私にはぁ~でぇきぃなぁいぃ~♪

家に帰っても口に物を入れている間以外は歌い続けていた

お風呂でももちろん熱唱し、内なる歓声に満たされて風呂を上がった

 

さて、髪でも乾かすかという時になって

「「息ができない」」

まるで海の中に沈められているような感じ

深呼吸、深呼吸、きっと大丈夫

それが拍車をかけて不安は増してゆく

 

こうゆう時こそ、母と暮らしている特権を行使するべき時である

「ちょいと、息ができないんだけども、背中をさすっておくれよぉ」とリビングでコタツの上に座ってテレビを見ていた母を呼び出した

こういう時はここぞとばかりに母に甘え、泣いた方が良い

なので「なんでこんなに苦しい思いをしなければならないのか」と嘆き泣いた

 

母は痛い手を交互に変えて1時間ほど私の背中を撫でてくれていた

そして恐怖に包まれた私は母と共に寝た

 

そんなことがあった翌日は、きっと母は「あの子は大丈夫かしら。今日もバイトだけれどまたパニックになったりしてないかしら」と心配していてくれたに違いない

 

母の心配がようやく落ち着いたその翌日の朝、つまり今日

弟が救急搬送された

 

遠く静岡に住む弟にしてやれるすべはない

母は職場から帰ってきた途端に静岡にゆく準備をし始めて方々に電話をかけていた

結局、母の姉の助言により病院か本人から電話があるまでは家にいようと腰を落ち着かせたが

待てど暮らせど連絡がこない

 

もともと心配性の母は、何本も弟の携帯に連絡を入れ、地図で救急搬送されたであろう病院を探し電話しようかなどと言っていた

そんなことをしているうちにやっと弟から「尿管結石だった」という一報を受けた

 

9割がた盲腸で入院を覚悟していた私たちは、入院無しの尿管結石に安堵した

が、尿管結石は世界三大激痛の一つである

弟はこれから尿管に詰まった石が勝手に出てくるまで耐えるのである

想像しただけでも痛い

 

母はまた方々に電話をかけ始めた

そして突き止めたその原因、母の母、つまり私の祖母

尿管結石は体質、家系で出やすいらしい

祖母はなんと二回もそれを経験していると電話口に告げた

 

その途端、尿管結石は弟だけの問題ではなくなった

私たちにも十二分に尿管結石になる可能性がある

なんてったって世界三大激痛の一つである

弟を「もう、これは、救急車を呼ぶしかない」と決心させたほどの痛みである

それが私たちの身にも降りかかってくる可能性があるのだ

 

私たちは午前中にもかかわらず、ひどく疲れ一度寝ることにした

早く起きた私は先にカップラーメンを食べ、海外ドラマを見ていたが

やはり母は疲れたらしく1時間ほど眠っていた

 

やっと起きてきて「私もカップラーメン食べるわ」とお湯を沸かそうと蛇口をひねったら取れてしまった、私たちの力では到底直せない

なんたる悲劇

 

母の子育ては終わらない

ある友人に向けて 愛を込めて

大好きな友人たちから誕生日のお祝いのメッセージが届いたっ!

改めて皆の誕生日にもメッセージを送らねばと、自分の怠けを省みつつ、やはりお祝いのメッセージにはニヤケが止まらない。

 

その中に、「毎日お昼休みにエッセイが更新されていないか、確認してるよ」というなんとも嬉しい言葉をくれる友達がいた。

彼女は、高校時代いつも二人で一つ、ずっと一緒にいた私にしては数少ない心許せる友人の一人である。

 

身長も同じくらいだったし、名前の順も前後だったし、ピアノ科副科声楽、同じ合唱部の同じアルトパートで歌っていた。

だからいつも一緒だった。

 

と言っても、高校のクラスにはグループというものがなかったため、一人の寂しさに怯えて一緒にいたわけでもないし、たまにはきっと気づかないうちに別々に行動していたはずである。

 

でもやっぱり、私の高校生活といったら彼女無しでは語れないのだ。

 

私は小学校一年生からピアノを習っていたが、その先生があまりにも優しくて素敵で、将来はその先生みたいになろうと思っていた。

小学校の文集にも書いたほどに、尊敬していた。

 

まず、その先生は綺麗だった。

練習してなくて、さすがに怒られるだろうと思ってレッスンに行っても怒らずにまた最初から優しく教えてくれた。

ちゃんと私に向き合って、曲選びや練習に付き合ってくれた。

30分のレッスンで、15分以上話しても全部「うん、うん」って聞いてくれた。

そんな先生が大好きで、ピアノを続けて音高に入ったわけである。

 

彼女はその先生に似ていた。

美人で優しくて素直で魅力的なところ、全て。

どんなつまらない話でも、彼女が笑ってくれればそれでよかった。

 

高二の誕生日にはサプライズで、皆からメッセージを集めて一つの単語帳にまとめて渡してくれた。(当時私が恋してた2組の男の子の分まで!)

間違いなく、今までの誕生日で一番である。順位はつけないがダントツで一番!

 

読書が好きで、本を読んでいるときは集中しすぎて話しかけても振り向いてくれなかったが、それも皆彼女のことが大好きで、とにかく、音楽科という神経を尖らせたこの世界にこんなに天使みたいな子がいるのかと思うほどだった。

実際に彼女は天使だと言われていた。

 

そんな彼女と3年間一緒にいたのに、私は天使になれなかった。

おかしい

 

大学に入ったら、やはり会う機会が減っていった。

彼女だけではなく、多くの友人とも年に一回か数年に一回だけである。

 

先日、彼女に2年ぶりに会った。

その日に限って私は二日酔いだったが、相変わらず彼女の笑顔に癒された。

毎日この笑顔を見ていたなんて、高校生の私が羨ましい。

 

彼女も私も、数年分大人になった。

束の間の数時間、もう高校生に戻れないことは充分にわかった。

 

それでも、大人になった私たちも素敵じゃないかと思う。

青い時代に出会って、苦い思いを共有して、知らない間に大人になっても、ほんの数時間で分かり合える。

そんな友人がいるだけで幸せだし、私にとって彼女がその友人の一人になってくれたことがとても嬉しい。

 

ただ名前の順が前後だっただけ、ただ席順が前後だっただけ、ただ同じアルトパートに配属されただけ、ただなんとなく雰囲気が似ていただけ

それが運命にも思えるほどに、彼女の存在は今の私にとってもかけがえのないものなのだ。

 

いつまでも、友達でいてください

また会える日まで

愛を込めて

苦手な習い事

名前が一番下手である。

 

ひらがなで”さくら”と書くのは意外とバランスが取れない。

特に”ら”という字はいつだって、ハデになりがちである。

 

ハデというのはどういうことかというと、自己主張が強いということ。

名前を書く時どうしても、最後の”ら”だけが他の字と釣り合わないほどに、デカく、濃く、主張が激しいのだ。

 

人生で一番書いている名前が、自分の字の中で一番下手なんて、悲しすぎるではないか。

 

そういえば、何事も割と器用にこなせてみせる私が唯一上達しなかったものが「習字」だった。

 

お寺の奥さんが始めた習字教室に、ご近所づきあいの一環として入会させられた。

本堂に隣接して建てられた教室は、木の香りが新しくて、漆喰が眩しかった。

だから通っていたが、習字なんて一番私とソリが合わないに決まっていた。

 

どんなに高い筆を買っても持ち帰って洗わないので、いつもバサバサだったし

硯を使って墨からするなんて、せっかちな私には向いてないため大体市販の安い墨汁を使っていた。

 

それでも毎週誰よりも早く行って正座して始まるのを待ってる素直な心を持った小学生だった。

友人たちは皆、始まる直前にバタバタやってきて急いで準備を始めているが、こっちはもうとっくに準備も心の整理も終わっている。

清らかな心で習字に真摯に向き合う体制に入っているのだ。

 

だのに、全く上達しなかった。

 

おかしい

何かがおかしい

私だけ階級が全く上がらない

 

毎月手のひらサイズの赤い雑誌が配られて、そこに習字の階級が載るようになっていた。

いつ先生が私たちの書を習字協会か何かに送っていたのかは知らないが、毎月名前は載っていた。

 

先に始めた別の教室に通っている友人は、もう神の領域にいる。

それから何ページもめくってめくってめくって、私たちの名前がやっと現れる。

 

最初のうちは皆、同じくらいだった

最初のうちから神の領域に行く人などいない

皆、初めは一緒なのだ

 

しかし、年月を重ねるごとに差が出始めた。

同じ時期に始めた友人たちは、毎月のように階級を上げてゆくのに対し、私はいつまでも最初のページにいた。

 

筆がダメだからだっ、墨汁がいけないからだっ

悔しさのあまり、自分の怠けを無視して何かのせいにしていた。

 

”自分の怠け”とあるが、習字教室で半紙を広げるのはたやすいが、家で半紙を広げるのはたやすくない。

まず、正座した際に丁度胸の下あたりにくる綺麗な机が必要である。

どこかに隠れているお習字セットを見つけ出し、心を整える。

 

そして何より片付けが一番面倒なのだ。

書いてみたはいいけれど、たいしてうまくない字をつけた半紙を取り除いた後に

母に怒られない洗面所を探して筆を洗い、硯を洗い、お習字セットをしまう。

 

なんのために、こんなことをするのか目標もない

だって、ご近所づきあいで始めたお習字だもの

別に字が多少汚くったって、生きていけるのさ

 

心構えがひねくれていたから上達しなかったのだろう

だから今でも名前は自己主張が強いままだ

23歳の抱負

学生ではない誕生日がやってきました

だからでしょうか、今日はいつもより特別に感じます

17の頃、友人が「23歳で結婚するわ」と言ったその歳になりました

あの頃はまだまだ遠い先の話だったのに、ついぞなってみたらあの頃のまま何も変わっていない

そんな自分も受け入れたい

そんなお年頃です

私は86歳で死ぬ予定なので、23歳はまだまだ若くて希望に満ちています

何かを諦めたり、何かにしがみついたり、過去を振り返ったり

そんなことはまだしなくていい

そう86歳の私が言っている気がします

何かに夢中になって、誰かを必死に愛して、

エネルギーを使い果たす、そんな風に生きていきたいですね

今まで、毎年たくさんの人に祝ってもらいました

17の誕生日の日、修学旅行の沖縄で戦争の話を聞きました

実際に戦争を体験したガイドのおじいさんが最後に

「あなたのその笑顔が1番なんだから、これからも失くさないようにね」

と言ってくれたことが今でも心に残ってます

キレイゴトばかりでは、人生、味がないことは分かっているけれど、キレイゴトも人生においては必要な材料なのだと思います

なぜか今年の誕生日はいつもよりも明るい気持ちに包まれています

自分の未来が見えないことが今は楽しいのです

自分の内側に目を向けたこの2年間が、やっと報われ始めた気がします

だから23歳は素敵な歳になる他考えられない

綺麗に締めたいと思います

キレイゴトに夢を託して

PS. 写真はヤマハ銀座店の2階に新設されたカフェで撮ったものです。

音楽関連の本が沢山あり、ピアノ・ベース・ドラムのリモート生演奏が聴けます。

ジャズトリオがどこかで演奏したものを、カフェの楽器がそのまま演奏してくれるという画期的すぎる画期的な生演奏です。

音楽好きの方は是非行ってみてください~

どれみちゃんになれなかった私たちへ

 

私はドンピシャのどれみちゃん世代だ。

『おジャ魔女どれみ』に『明日のナージャ』、『ふたりはプリキュア』が私の時代。

 

幼稚園では当たり前のように“ドレミちゃんごっこ”が流行っていた。

そして当たり前のようにドレミちゃんにはなれない私がいた。

毎回あいこちゃん役だった。

本当は誰もがドレミちゃん役をやりたかったのにね。

気の弱い私たちは、絶対にドレミちゃんにはなれなかった。

 

お母さんがドレミちゃんの衣装を買ってくれると言った。

なのに私はあいこちゃんの青色のドレスを選んだ。

家族の前でさえも、ドレミちゃんにならなかった。なれなかった。

 

そうやって小さい頃から主人公を近くで見ている取り巻きの一部として生きてきた。

 

あの時ドレミちゃんをやっていた子は、ずっとキラキラしたグループにいた。

きっと今もそうだろう。

 

あいこちゃんは主人公になれない。

何かをなくしたまま成長したから、「どうせ私なんて、ね」って感じになった。

誰かが夢を語っても、冷めた目で見ていた。

 

夢なんか見たって主人公にはなれないんだからさ

 

心の中には常に冷たい私がいて、なにもかも諦めたような、悟ったようなそんな人間だった。

 

でもある意味ではそういう人を羨ましく思っていた。

はっきりと「私は女優になる」と言ったあの子が羨ましい。

そんなふうにはならないんだろうな。

私ってさ。

 

と思ったら、いつの間にか私もそっち側の人間になっていましたとさ。

 

ドッキリドッキリドンドン

不思議な力が湧いてきたんでしょうね。

 

誰よりも冷めた人間だったのに、いきなり夢なんか語り出して、今更自分の人生の主人公になろうとしている。

 

「ふ、ふ、ふ……」

数年前の私が聞いて呆れるような事を毎日考えてやっている。

 

あいこちゃんでも主人公になれるのかもしれない。

いや、主人公になるんだ。

今はそうとしか信じられない。

 

冷めるのはもう飽きた。

誰かの夢をけなすのはもう終わりにしよう。

主人公を夢見るのも金輪際おことわり。

 

私が主人公。

タイトルには私の名前が出て、ポスターにも私の写真がデカデカと張り出される。

エンドロールの最初に来るのはもちろん私の名前。

 

ね、冷めた世界よりこっちの方がずっと素敵でしょ?

 

そう思わない?

 

ドレミちゃんになれないからって人生諦めるのは、はやとちり。

主人公はいつでも輝いてないとっ!

キラキラピカピカしてないとっ!

だから私は主人公になるって決めたのっ!

 

一生脇役なんて許せない。

 

死ぬまで主人公でいなくっちゃね!

ホラーに取り憑かれて

足元すら見えないような暗闇

外で聞こえるコウモリの羽音

懐中電灯を持つ手は震え

なんども、なんども、

気を失いそうになりながら出口を目指す

後ろに感じる気配

恐る恐る振り返る

暗闇が広がっているだけだ

気のせいだったかと胸を撫で下ろし

前を向く

 

大体この後は、得体の知れない幽霊かエイリアンが現れて登場人物を襲うのである。

ホラーのお決まりの手法だ。

私達は何度もこのやりとりを見ているのに

次に何が起こるのかわかっているのに

毎度毎度恐怖に震えるのである。

 

去年の今頃、卒論に追われていた。

やればやるほどわからなくなってゆく。

まとまりかければ、それはそれで幼稚に見えてまた最初からリサーチ。

永遠と終わらないのに、期限は刻一刻と迫り焦りと根拠のない持論だけが紙の上を滑る。

 

朝起きた。

この部屋には昨日買った加湿器が大きすぎるらしい。

部屋中が霧に囲まれて朝日が異様に屈折しながら部屋に充満している。

手探りでメガネを見つけた。

 

私の大学生活の勉強は「ホラー」というものに支配されていた。

怪しげなカイジュウが表紙をつとめる雑誌を何冊も抱えて家路についた。

「恐怖」や「ホラー」がタイトルの本を求めて図書館中を走り回った。

 

本当は「コメディ」の勉強がしたかったのに

いつから私はこんな怖い映画ばかり観ているのだろうか。

 

ホラー映画は「すき」か「きらい」かはっきり分かれる。

「きらい」な人は何があろうと絶対に観ないし

「すき」な人は何があろうと絶対に観る。

 

しかし私はどちらでもない。

嫌いではないが、めっちゃ好きでもない。

のに結局ホラー映画の研究ばかりしていた。

 

これは一体どういうことでしょう。

 

研究をすればするほど「ホラー」というものがなんなのかわからなくなった。

皆さんは「ホラー」映画ってどんな映画のことを指すと思いますか?

 

幽霊が出てきたらホラー映画なの?

じゃあ『ゴースト/ニューヨークの幻』は?『ゴーストバスターズ』は?

どちらもホラー映画ではないんだよねえ。

 

『シャイニング』はホラー小説の映画化であるのに、ホラーっぽくなかった。

だけれどホラー映画なんだよねえ。

 

100人中100人が思い浮かべるホラー映画って最初に書いたような“暗闇”で“何か”が“襲ってくる”もの。

だけど『シャイニング』は明るいところで、いきなり幽霊が「やあ!」と手を挙げる。

観ている側は滑稽に感じるが、登場人物は恐れおののき逃げまどう。

 

私含めて、多くの人が思うホラー映画の「“暗闇”で“何か”が“襲ってくる”」というのは、一つの手法であってそれ自体がホラー映画だと定義するものではない。

 

ジャンルの研究は非常に難しい。

昨年の私はその壁に毎日ぶちあたっていた。

ジャンル自体広いのに、奥が深い。

そしていくつものジャンルを保有する映画も存在する。

 

ホラーとサスペンス、ホラーとスリラーなどどの部分がホラーでどの部分がサスペンスなの?って感じ。

 

丁度仲の良い友人が「サスペンス」映画の研究をしていた。

私たちはいつも学食でお互いの研究を披露しあっていた。

「ホラー」映画の歴史を研究していた私と

「サスペンス」映画の歴史を研究していた彼女はある一つの映画にたどり着く。

 

それが『サイコ』(1960)である。

 

お互いに「『サイコ』はホラー/サスペンス映画の歴史を変えた」という結論に至っていた。

そして2人で首をかしげた。

『サイコ』のジャンルってなんやねん。

 

お互い主張は曲げず、どちらも『サイコ』を譲ろうとはしなかった。

全体発表の時も、どちらも「『サイコ』はホラー映画/サスペンス映画にとって重要な通過点だ」と主張した。

 

しかしここで1番大切なのは、『サイコ』という映画はそれまでの映画とは全く別の、ジャンルとかそういうレベルの映画ではないということだ。

ヒッチコック万歳。

だからホラーなのかサスペンスなのかわからないのである。

 

五里霧中の卒論研究を終えた私は、教授との面談をすることになった。

教授は私の論文に対しての評価を告げ、

「心霊写真の研究もすればよかったわね」と言った。

 

心霊写真にも研究することがあるのか…。

心霊写真の何について研究すればよかったのだろうか…。

 

後ろ髪を引かれるように大学を去った

あの日が最後の登校日だった

したたかに、そしてしなやかに

JK時代は恋愛をしてなんぼである。

JKになる前から、恋愛体質だった私はJKになってからはそれに拍車がかかり

盛りのついた猫のように、飢えた目で男子高校生を見つめていた。

 

飢えに飢えていたのは私だけでなく、周りの友人も大概そうであり

37人中34人が女子という私のクラスには、いつもワイ談が飛び交っていた。

体育着が散乱し、ロッカーの上には教科書が積まれ、誰のかわからぬ靴下が転がっていた。

 

男子の目などは皆無であったために、私たちはどんどん野生化していった。

それでもクラス目標は”おしとやかに美しく”だったため、廊下を出ればしゃんと胸を張り、スカートをひらひらさせていた。

うわべしか知らない他のクラスの男子生徒は「やっぱり音楽科は違うなあ、気品があるなあ」と思っていたに違いない。

 

ほとんど男子と接点のない高校生活だったため、私はちょっとでも仲良くなるとすぐ好きになってしまうという体質になった。

仲良くなるどころか、目が合えば好きになった。

声を聞けば好きになった。

男性というものを見るだけで心が踊りまくった。

あの時が乙女のピークであった。

 

早起きが嫌いな私が、あの3年間だけは早く起き髪を巻くのに10分もかけていた。

くるくるのロングヘアーをなびかせて登校していたが、犬さえも振り向かなかった。

そんなことはどうでもよい。彼が振り向いてくれさえすれば。

 

私は計算高い女であるために、彼の登校時間を調べあげ毎朝トイレで待ち構えていた。

そして鏡ごしに彼が来るのを確認すると、あら偶然っという面持ちで右手を上げ挨拶を交わしていた。

毎朝トイレから出てくる女は、彼のクラスの時間割も知っていたため、体育の前の休み時間にはさりげなく教室の前を通り過ぎ着替えを覗いていたのだった。

 

そんな努力もむなしく、3年間私には彼氏ができなかった。

虚しい。悔しい。

やっぱり可愛いあの子がモテるのかっ!!

憤りが収まらぬ。

あいつは確かに表では無邪気に振舞っているが、腹の中では男を手玉に取りニヤニヤしているに違いないっ。

くそっ!可愛くなりたいっ!

私も男を手玉に取りたいっ!!

 

結局手玉になど取れず、いつも手の内で転がされる女である。

女子と男子の両方の人気を勝ち得るのは難しい。

女子に好かれようとすると、男子からは恋愛対象外にされてしまう。

かと言って男子に好かれようとすると、女子から冷たい目線を浴びる事になる。

つまりは、両モテは不可能なのだ。

 

「女子にも男子にも好かれるあの子の特徴5つ」などという記事を私は何百も読み漁ってきた。

もちろん「あの人を振り向かせる方法3つ」や「これが当てはまったら両思い」等々、毎日読んでいる。

役に立った試しは、ない。

 

結局、可愛い子がモテるのだ。

可愛いは正義なのだ。

 

化粧品を一年も買っていない私は、どうすればよいのか。

流行のリップは、今では時代遅れなのに全然減ってくれない。

モテる方法をググるより先に、可愛くなる努力をするべきである。

ジムに行って汗をながせ、半身浴で汗を流せ、デトックスデトックス。

 

それができないからこうやっていつまで経っても、あの頃の私のまま。

でも5年も経ったんだし目標くらいは変えようか。

「したたかに、そしてしなやかに」

 

スカートの裾が少し笑った。