恋に落ちる36の質問

相手の全てを受け入れるのは、私にとってとても難しいことである

同時に私の全てを受け入れてもらうのも、とても難しいことである

 

大人になるにつれて、他人との間に無意識に壁を作るようになった

だからいつまで経っても相手を理解しようとしないし、自分も理解されない

その壁をぶち破るには強靭な精神力と膨大なエネルギーを必要とする

 

見えない壁を見ないふりをして人と関わるのが、実際一番楽なのだ

そうやって孤独は始まっていく

 

『恋に落ちる36の質問』

1.この世界の誰でもディナーに来てくれるなら誰を誘いますか?

 

これはその壁を取り除く一つの方法になるかもしれない

そう思ってから私は一緒にこれをやってくれる友人を探した、心の中で

しかし”壁をぶち破るには強靭な精神力と膨大なエネルギーを必要とする”のでいつまで経っても誰にするか定まらず、結局彼とやってみた

 

3年半も付き合っていれば、彼のことは大体知っている、と思っていた

そうやってマンネリしていく私たちの関係は、またもや見えない壁を形成しているようだった

 

簡単に見える36の質問も、真剣に向き合ってみるとやっぱりエネルギーを消耗する

自分の恥ずかしかった経験や誰にも言ったことのない夢、そして考えたこともないような突拍子のない質問

相手と向き合いながら自分とも向き合わなくてはいけない

自分の全てをさらけ出さなければいけない

 

だからやはり誰でもいいというわけにはいかない

すべての友人・知人とこんなことをやっていたらいつか精神病になりそうだ

 

しかし、強靭な精神力と膨大なエネルギーを費やした結果はいつだって良いものである

彼のことならなんでも知ってるなんて思っていたけれど、ほとんどの質問において知らないことばかり

3年間真剣に向き合って来た彼とでさえ、本当は見えない壁を設けていたのだ

その壁が薄くなっていくのは、誰かと関係を進めていく上で一番の喜びかもしれない

 

「ある瞬間に友人とあった」という阿川佐和子のエッセイを読んでポンと膝を打った

「みえた」か「あった」か忘れてしまったが、要はある瞬間にその友人と心が繋がったということだ

そう彼でも友人でも誰とでも「あ、今心が通じたな」という瞬間がある

それはいつまでも続かない、次会った時にはそれは感じない

でも本当にある瞬間にそれがあって、その度に心に刻まれていく

 

この質問は、それを意識的に作ってくれる

いつもは無作為に現れるそれを、私とあなたで意識的に作って仲を深めましょうということである

 

最初にも言ったがそれには強靭な精神力と膨大なエネルギーが必要だからいつもはできない

が、もしこの実験に興味を持ち私のヤミの部分も受け入れてくれる人がいたならばぜひその人ともやってみたい

 

ちなみに私たちはこのサイトを見ながらやってみました↓

恋に落ちる36の質問

憧れの国アメリカ

ずっと行きたい国がある

アメリカだ

 

16で『フルハウス』に再度出会ってから、憧れ続けているサンフランシスコ

 

何度も渡米のチャンスがあったのに、全て総スカンしているのも私の憧れに拍車をかけている

 

17の時、埼玉県の高校生が何名か選ばれて短期留学ができることを知った

全校集会で上の学年の先輩が留学の経験を発表しているのを聞いてすぐに職員室にかけてった

「来年は私に行かせてくださいっ。きっと英語も頑張って覚えるし、勉強も一番をとりますっ。そしてなんてったって私が一番アメリカに行きたいんですからっ」

帰宅してすぐに父にもそう言った

父も「そういった話があったらすぐに知らせるよ」と言い、先生も「わかったわかった」と一応納得した

運よく、父が県庁職員だったためコネを使ってでも私は必ず来年はアメリカに行けると確信していた

 

しかし私の時代だけ、その留学がなかった

英語の先生をかたっぱしから訪ねても、「今年はないらしいんよ」と言った

私は嘘だと思って、父にも聞いてみた

嘘だと思ったのは私の高校には英語科があって、そこから人を選ぶんだと思ったからである

父も県庁で聞いて回ったらしいが、なぜか今年はないらしいということがわかった

埼玉県よ、なぜそんな気まぐれの留学制度など作ったのだ

私の落胆は大きかった

 

大学に入ったら皆が留学していた

私は寮に入ったため、そのお金だけでも留学できるほどにかかっていたので両親に言い出せなかった

私が一番アメリカに行きたいのに、アメリカに行く人たちが羨ましくって憎くって、寮に入らなければよかったと何度も思った

 

運良く一番仲の良い友人が私と同じ思いを持ちながら留学できずにいた

私たちは旅行でアメリカに行こうということになって、その日のうちにHISで契約した

 

しかし、その友人は一週間経ってお金がないので行けないと言った

私たちはあまりにも熱が入りすぎてお金のことを考えていなかったのだ

だから来年ロサンジェルスに行こうと言って契約を破棄した

 

来年アメリカに行くから、その年は彼とイタリアへ行った

アメリカという選択肢もあったが、なんせその友人と来年行くと約束したからアメリカはなしになった

 

そしてその次の年、その友人とアメリカに行くことはなかった

私たちは就職活動というものを忘れてそんな約束をして、結局その年はなんやかんや忙しくてアメリカの話さえ出なかったのである

 

だから私は自分でお金を貯めて留学しようと思った

大学4年の2月に留学エージェントのところへ相談しに行って大体の予想をつけた

何もなければ次の春からアメリカに行けたのだが、コロナのせいで数年は留学ができなくなった

 

ということでアメリカはいつまでもテレビの中だけである

アメリカの文化や歴史の本を読んでも、アメリカのテレビドラマを何万時間観ても、ダメなのである

百聞は一見に如かずなのである

 

だから、いつか絶対にアメリカに行く時にはすべてのものを吸収できるように準備をしようと思う

気持ちは16からずっとアメリカンガールだから、好きなアーティストはビーチボーイズ

でもビーチボーイズって今の若い子は聴かないかもしれない

サンフランシスコもLAももう地図が頭に入ってるから、英語さえ話せればどこだって行けるけど…

なんてったって英語が一番大変なのよね

憧れすぎて変な方向に突っ走っているけれど、アメリカに行けさえすれば全て良くなると思うの

今でさえアメリカかぶれしそうなほどにのめり込んでいるのに

 

あぁアメリカにもし行けるとしたらなんて素敵なことなんだろう

どんなに未来が見えなくてもそれだけあれば希望を持って生きて行けるくらい、どうしてもアメリカに行きたい

 

ずっとずっと私が一番アメリカに行きたいんだから

ずっとずっと私が一番アメリカに憧れてるんだから

寂しい時の対処法

知らない人と電話で繋がれるというアプリがあるのをインスタの広告で見かけた

そんなにも”寂しい”人が今のこの世の中に溢れていることに驚きを隠せない

 

誰とでも繋がれる今だから、誰かと繋がりたいのかもしれない

繋がれるっていったって所詮SNSでは寂しさは紛らわせないのかもしれない

 

その広告を見て、阿木燿子さんのエッセイを思い出した

多分30年くらい前の話だろうが、なんとその頃にもそういったものが流行っていたらしい

それは”テレクラ”といって町中に番号の載ったポスターが貼られており、寂しくなってそこにダイヤルを回すと知らない異性と繋がれるというものだそうだ

 

まさに、広告のそれと同じではないか

30年前には携帯電話もコンピュータもない

今は誰とでも繋がれるのに

全く同じものが流行っている

 

結局は繋がっていても繋がってなくても寂しいっていうことなのだろう

寂しさというのは多分、自分の力だけでは到底埋められない、絶望的な感情

 

私も寂しがりやだと思う

寂しい時は部屋の中でうずくまっているか

服を買いに行く

服屋に行くとだいたい店員さんが話しかけてくれるのでそれ目当てにウィンドウショッピングをする

「この服売れてますか?何色が一番人気ですか?」

「へ~そうなんですね。確かにこのスカートも可愛らしいですね」

と言って何も買わない

 

3ヶ月に一度の美容室も私の寂しさを紛らわす一つの手段である

髪を切りながらお客さんの話を聞くというのはかなり難しいであろうが、申し訳ないがそんなのは御構い無しに喋り尽くす

 

寂しい時は「とにかく話をして人とコミュニケーションを取らなければ、このまま死んでしまう」という危機感が漂っている

 

最近は週に一度整体に通いだしたので、私の寂しさもだいぶ和らいてきた

「はい、では横になってくださいね~」

横になるが早いか私の口が開くのが早いか、とにかく一週間の出来事を事細かに喋り、整体師さんの話にも耳を傾け、時には笑い、時には感心し、そうして40分の整体を終える

 

だから寂しければ、整体に通うのが一番かもしれない

話が大好きな整体師さんなら尚良い

 

知らない人との電話も魅力的だけど

やっぱり生身のコニュニケーションには勝てないんじゃないかなあ

サンタを信じて

この10年、サンタはいないと思っていた

 

私は多分、他の人よりも長くサンタを信じていた

小学校6年生のイブまで「サンタは本当にいるんだ」と信じて疑わなかった

仕事から帰宅した母のバッグを覗くまでは、遠いフィンランドかどこかからトナカイ走らせ、鈴の音鳴らし、ホっホっホっと笑った後に私の枕元にプレゼントを置いてくれる者がいると信じていた

 

翌日母のバッグの中にあったものと同じものが枕元に置かれていても

私は毎年しているように喜んでみせた

サンタはいないということがどれほどショックだったか

しかしプレゼントをもらえることの方が嬉しかったのかもしれない

 

昔、両親はサンタの手伝いをしているという絵本を読んだ

それこそ本当に信じなかったが、その時ばかりは母はサンタから頼まれてこのプレゼントを預かっているんだと信じたかった

 

サンタがいないということを知るのは、子供から青年になる瞬間といっても過言ではない

あの朝、何も知らないように振舞ってプレゼントを喜んだその瞬間から青年になり始めたのだ

 

あれから10年間、クリスマスには「サンタはいない」という現実と向き合ってきた

それまでの12年間の美しい失われた子供時代がより一層懐かしく、無邪気で残酷に思えた

 

しかし最近は「サンタはいるんじゃないか」と思っている

10年間グレたからそろそろ信じる心を取り戻しても良い頃だろう

 

さすがに、赤い服を着たヒゲのおじいちゃんがトナカイのソリに乗って夜な夜な子供たちの枕元にプレゼントを置いているとは思わないが、サンタはいると信じたい

サンタが幻でも、多くの親がそれを現実にしているということを忘れてはいけなかった

私たちの中にサンタがいて、クリスマスには愛する人にプレゼントを贈るという本質的な部分を見落として、幻のサンタの消失に嘆き続けた10年間を今恥じている

 

もはや親がサンタでなくても良いということになった

私が私のサンタになればいいので、自分でプレゼントを用意する

サンタを信じて、サンタに裏切られて、そしてまた信じる

 

子供から少女へ、そして大人になった今年の私は静かに家族とクリスマスを楽しむのだ

朝帰り

この風の香りを嗅いだのは

今朝だったか

それとも遠い昔に忘れた春の日か

 

雨に濡れた葉と土の香り

春の兆しに輝いて

 

どこからか漂う花の香

知っているようで知らないその香り

大きく吸い込んで消えた

 

いつかまた嗅ぐだろうか

その時は今日のことを思い出す

 

最後の朝帰り

銀杏並木に誘われて

澄んだ青い空に別れを告げた

この春の日を

それもまた人生

昔、オトコは狩猟のために五感を磨き

特にその方向感覚に優れていたらしい

 

陽が昇れば太陽の位置で自分の場所を把握し

夜になれば月の満ち欠けと北極星でそれを把握した

 

男性が地図を読むのが得意なのは、本能的なものらしい

逆に女性は常に家におり、その必要がなかったため地図を読むのが苦手だということらしい

 

その原理で考えれば、私はオトコということになる

 

数多ある長所の中で、一番秀でているのがこの方向感覚である

道に迷ったことは一度しかない

かの新宿駅の中で、思うような出口に出会えずにトイレに篭ったのが後にも先にも”道に迷った”出来事である

もはや新宿駅は、田舎者にとっては迷わずに出ることは不可能であるからこれはチャラにしよう

 

ということで私は今までの人生で道に迷ったことがない

 

一度通った道なら何の迷いもなく目的地にたどり着ける

今私がどこにいるのか、東西南北どちらを向いているのか

太平洋がどっちで、日本海がどっちなのか

富士山がどこにあるのか

それらが瞬時にわかるという特殊能力を持っている

 

しかし、右と左が未だに覚えられない

今でも「右手で持って~」と言われると、小学校の教室の様子を思い出し時計がある方を右だと心得ている

「左手でさ~」と言われるともっと複雑で、まず小学校の教室の様子を思い出し時計がある方を右手とするならばその逆が左手であるという風に考える

 

話が逸れたが、左右がわからずとも東西南北がわかれば迷わない

地図さえあればどこへでもいけるのである

今まで出会った人の中でも随一の能力だと信じている

 

しかし、私の周りにはそれはそれは地図の読めない人が多い

私の彼はオトコであるにもかかわらず、地図が読めない

それで一度大げんかしたこともある

その日は浅草の雷門集合だった

どこの駅で降りても、「雷門」という看板がいたるところにあり、それに従ってゆけばつくものを、彼は小一時間ほどさまよい、全く別のところに行ってしまっていたのである

「浅草文化会館の前にいる」と電話越しに聞いた私は憤慨し、どうしてどうやって雷門を目指せば浅草文化会館につくのか不思議で仕方なかった

 

地図を読むのも、道をゆくのも私にとっては快楽なため

車での移動は非常に楽しいものである

助手席から東西南北を確認しその目的地までを頭の中で描く

 

昔はカーナビなどなかったために、車の中に地図があった

今でも祖父は地図を開いて旅行先までのルートを確認する

私もその隣に座ってそれを見ている

そして祖父とあーだこーだ言って目的地まで指で追うのが楽しいのである

 

しかし人生には地図がない

「〽︎地図さえないそれもまた人生」と美空ひばりも歌っている

いくら地図が読めても人生の地図が読めないならば意味もないかもしれない

目的地までを指で追うのが趣味ならば、人生の目的地までを指で追うのも好きなのだが

なかなかうまくいかない

紙上では平坦だと思っていたのに、いきなり急な坂道が現れたりする

思い描いていた道はいつのまにか通行止になっていて回り道をしなければいけなくなる

そうしているうちに目的地まで失って、「はて私は今どこに」と頭を悩ませる

 

ロングショットで見れば単純なことも、クロースアップで見ると大変に起伏が激しい

そうしてヨットコしているうちに、また違う道が現れる

分岐点が増えるほどに目的地が霞んでゆく

それでも選ばなければならないのが人生なのかと、どちらかを選んでみる

そうして選ばなかった方を悔やんだことはないけれど、目的地は日に日に変わっていく

 

人生にも東西南北、太平洋富士山があれば簡単なのだけれど

どうもそれにはそういう指針はないらしい

シンドバットが言うように、心のコンパスを信じて進むしかないのだろうか

一生もののロマン

一生、同じものを使うのはどんなに大変なことだろう

そしてどんなに素敵なことだろう

 

さて、部屋を見回して10年前から持ち続けているものなどあるか

いや、ない

青春は思い出深い品とともに消えていく

頭にその片鱗だけでも残っていればいい方だ

 

今、私を埋め尽くすこの部屋のものが10年後も変わらずあり続けるだろうか

 

 

イタリアで革に出会った

一生ものといえば、革である

何も決めずに日本を飛び立ち、フィレンツェに着く直前に「革だっ!」と決めた

それから革を探して生きている

 

その革は、これから先の私の人生を一緒に歩む革

あの日から今日まで、そして死ぬその間際まで

 

フィレンツェでは鞄を買った

直前に決めた割にはとても素敵な買い物だった

イメディチというフィレンツェ発祥の革ブランド

その土地でしか出会えない、その土地のもの

フィレンツェの文化を全て纏ったその鞄

手に取った瞬間、手に染み込むようなあの肌触り

それは運命のようだった

 

それから私は靴を買った

革の靴

お金のない私は中古でその靴を買って、雨漏りがするたびに直して履いている

学生にしては、あまりにも似合わないフェラガモの靴だから

似合う年齢になるまで履き続けよう

(フェラガモなんて田舎育ちの私は買うまで知らなかったが、都会育ちの友人は見た瞬間に「それ、フェラガモっ」と言い当てた。憧れの都会っ子にはまだまだなれない)

 

それから私はあの鞄と同じブランドの革のボストンバッグを買った

一泊分に丁度いいサイズ

これを持ってどこへでも旅に出よう

旅の思い出を全てこの鞄が吸ってくれますように

 

そして最近、革の財布を買った

2年前から目をつけていたダコタの財布

財布はさすがに一生同じものを持つわけにはいかない

だからせめて20代はこの財布で乗り切ろう

きっと悲しいことも辛いこともあるけれど

この財布はそれらも全て纏って年を増すごとにしなやかに、艶やかに

 

一生同じものを持ち続けることはきっと難しい

引越しをするたびに消えてゆく思い出の数々

あんなに大事にしていたぬいぐるみ、ハンカチ、ブックカバーは今何処

だから意識して持ち続けなければ

 

革は連れ添うごとに魅力が増してゆく

私の人生を映して、嬉しいことも辛いことも受け入れ輝いていく

次に探すのは時計

もう狙いは定めている

あとは「今だっ」と思えるタイミングを待つのみ

女の勘

女の勘は鋭い

世の中のオノコたちよ、なめてかかるなこの威力

女はいつでも目を光らせ、五感を研ぎ澄まし

いつ来るかもわからぬそれに備えているのである

 

私も例に漏れず、勘の鋭い女だと思っていた

しかし、カラカラ空回りする私の恋路はいつも違う方向に目を光らせていた

「きっとあの子、彼に興味があるのよ。見張ってなくっちゃ」

「彼ったらいつもあの子のこと見ているような気がするわ、あの子のこと好きなのかしら」

 

恋する私はいつだって、女にも相手のオノコにも目を光らせ

双方にあらぬ疑いをかけては、一人想像する夜を過ごしていた

 

しかし、だいたい私の勘は外れる

彼に興味があると思っていた女の子は全く別の人と付き合うし

あの子のことが好きだと思っていた彼は全く別の人が好きだという

 

そしてだいたい、想像もしていなかった人が恋仇だったという展開になる

 

私は好きになるとすぐに公表したがるタイプである

「私は彼のことが好きなんですっ」と大声で宣伝して歩くのである

そういう女は、私以外にあったことがないのであまりいないのであろう

皆、奥ゆかしき女性なので好きになっても、そう簡単に秘密を暴かないのである

 

しかしこれは大変に損な性質である

「あぁ、彼をどうやってご飯に誘おうかしら。ちょっと駆け引きしてみよう」なんて考えているうちに私みたいなのが彗星の如く現れ、その彼をかっさらっていくのだ

そうして涙を流した女性を何人か知っている

大体において、いつも後から知るので全く悪気はないのだけれど、相手の女性からしたら私は憎ったらしくてしょうがない女であろう

 

中学生2年の時、憧れの先輩と付き合った私の元にある女の先輩がやってきた

その女の先輩は、可愛くて優しくて大好きな先輩だった

その先輩が教室に現れて私を呼ぶ

「さくらちゃんって、彼と付き合ってるの?」

何も知らない私は「そうなんです、告白したらなんとOKだったんですっ!!」と答える

そして数日後に彼から「実はあの子から告白された」と聞かされ青ざめる

知らなかった。だってその先輩、生徒会長が好きだって言ってたじゃんかっ

彼ももっと早く言ってくれればいいのに、全くもったいぶって

 

高校2年生の時、別のクラスの男の子を好きになった

運よく、友人がその男の子と友達だったために色々と情報を聞き出すことに成功した

そして私の誕生日に彼に「誕生日プレゼントとしてあなたのラインを頂戴っ」とお願いしたら、彼は「じゃあ、彼女に聞いといて」とその友人の名を言う

従順な私はすぐに彼女に「彼のライン頂戴っ」とせがみ、やっとの事でゲットしたそのライン

数ヶ月後私は彼に振られるわけだが、彼はその時「実はあの子からも告白されて、君の誕生日の日に。断ったけど」とのたまう

はぁ、私の誕生日の日、彼女は笑顔で私に彼のラインを教えてくれたのだ

なのに裏では彼に告白し、自分のものにしようとしてたのか

女というものを信用できない

そしてそれに全く気付かずにその友人を付け回していた私も無神経極まりない

そしてあのオトコ、振った女からラインをもらえなどとよく言えたもんだホント

友達だって言ってたじゃん、もうこれだからオトコとオンナは

彼ももっと早く言ってくれればいいのに、全くもったいぶって

 

大学2年生の時、サークルの先輩を好きになった

例に漏れず、彼への好意を大きく宣伝して回った

その裏では目を光らせ、彼に近づくオンナを監視していた

のちにこれは全て私の妄想だと判明し、恋する私の迷惑を被った友人たちには頭が上がらない

それでもやはり彼とめでたく付き合ってすぐ、ある人が「さくらって、彼と付き合ってるの?」と聞いてきた

何も知らない私は「そうなんですっ、もう嬉しくって」と答える

そして数日後に彼から「実はあの子から……」

 

ああああ、もうミナマデイウナ

いつもこうなんだからっ

彼ももっと早く言ってくれればいいのに、全くもったいぶって

 

いつだって、全く予想してなかったところに恋仇がいるのだ

彼女たちは奥ゆかしく、誰にも恋心を秘密にして、彼を狙っていたのだ

何も知らない私は、全く見当違いなところに目を光らせて鋭く追及して、アホみたいじゃないか

大体オノコたちも、もっと早く言ってくれれば私だってちょっとの遠慮とか配慮とかできたのに

いつだって言うのが遅いから、知らず知らずのうちに憎まれることになっていた

 

しかし面白いことに、私が女から恋仇に思われることはない

「あの女は、まぁ、ないだろう」となるのか

不名誉だが、変な誤解をされるよりマシである

 

女の勘は鋭い

私が思っている以上に、世のオノコが思っている以上に

恨まれぬように、憎まれぬように渡っていかなければ女社会では生きていけない

いつか私にも人並みの勘がつきますように

〽︎箱根の山は天下の嶮

トイレが近いのがわたしの唯一の欠点である

 

いつからこうなったのか

はたまたどうしてこうなったのか

神のみぞ知るというふうである

 

お酒など飲めば、10分に一度はトイレに駆け込み

帰りのことを考えて「宴もたけなわ」の1時間前にはお酒をやめる

そうしないと山手線を一駅づつ降りながら帰ることになる

 

トイレのことを考えて生きている

どんな時も一番はトイレである

トイレに行ければどんな場所でも大丈夫なのだ

 

箱根に旅行に行った

 

楽しい温泉旅行

彼と初めての旅館

浴衣姿にウフフと舞い上がり

美味しいご飯とお酒に酔いしれて

箱根の温泉で肌を潤わせ

私もつくづく大人になったなあとむふふとしていた

 

1日目は湯本の駅周辺で箱根散策をし

2日目にバスに乗って芦ノ湖、大涌谷、強羅などを回る予定だった

 

星の王子様ニュージアムにも足を運び、記念写真も撮ったがあまりに酷いのでここには載せられない

 

大涌谷で「一つ食べれば7年寿命が伸びる」という黒たまごを2つ食べ、さてそろそろロマンスカーの時間ではないかということでケーブルカーで下山することになった

 

しかし運悪く去年の大雨の影響で強羅~箱根湯本間が走行しておらず、強羅からは泣く泣くバスに乗ることになったのだ

「ま、無料だし、あとは降りるだけ降りるだけ。〽︎箱根の山は天下の嶮なんて歌われるけど大したことないね、フンフン」と箱根の山をけなしたのが悪かった

 

「湯本まで直行です、途中で降りれませんからね」というバスに乗った途端に悪い予感がしてきた

「でも、強羅から20分だってさ。余裕じゃんね」と悠々とバスに乗り込み、座った瞬間に運転手さんが「ただいま混雑していますので、湯本まで1時間はかかります」とアナウンスした

 

さて、本当に雲行きがあやしい

なにせ私はパニック持ちなのだ

薬を手に持って、気を紛らわせよう

1時間なんてすぐじゃんね

 

バスは出発した

最初はとてもスムースに流れていた

「なあんだ、これじゃすぐ着いちゃうねっ」

ああ、これが富士屋ホテルか、いつか泊まりたいわ

ここ、あの箱根駅伝で走ってるところじゃない?

しかし、箱根の山はそんなに甘くはなかったのである

 

さて、湯本まであと5キロ、大平台という最後の温泉街をバスが通り過ぎた

そしてあの急なカーブ(箱根駅伝でよく見るあれ)を曲がると、なんと車がずううううううううっと先まで箱根の山を連ねている

 

なんとしたことか、と思った時には時すでに遅し

私はトイレに猛烈に行きたくなってきた

この時のために、ほとんど水も取らなかったのになぜこういう時に限ってトイレに行きたくなるのか

それが怖くてパニックになるのに、頭の中はトイレしか浮かばず、パニックになる隙もない

 

あぁ、地図を見てごらんよ

これが最後の温泉街だったのよ

これから先2キロはずっと山道なのよ

車は全く動かないし

さて、どうしよう

 

2キロなら歩ける

最悪、そこの草むらで用を足そう

彼がガードしてくれれば、ちょっとお尻が見えたって死にはしないさ

そのためにはバスを降りなければっ

 

隣で寝ている彼にそっと

「ちょっと、悪いんだけど、トイレ行きたくなっちゃった」とささやいた

彼は私のトイレ事情をよく知っているために「それは大変だっ」と飛び起きて

やはりとりあえずバスから降ろしてもらおうということになった

 

あぁ、バスの運転手さん、どうかどうかお願いだからここで降ろして

「あの、連れが体調悪くて」と彼が勇敢に運転手さんに掛け合ってくれた

しかし、運転手さんも私の命を預かって運転しているわけだからそう簡単に下ろせはしない

 

本部に連絡が回った

バス内に響き渡る運転手さんと本部の連絡

「体調が悪い方が一名降りまして、バスから下車したいとのことですが」

「救急車を呼びますか?」

彼「いえ、それほどのものではないので」

私の心の中「救急車なんて呼ばれたら恥だ、漏らした方がマシかもしれぬ」

結局、次の温泉街塔ノ沢まで降りれないということだった

 

さて、塔ノ沢まで2キロ

歩けば20分、走れば10分

この調子だとあと何分かかるかわからない

運転手さんの話によれば40分くらいだという

 

私の膀胱の溜まりは8割くらいになってきた

そろそろ本当にやばい

しかしくねくねとした山道は曲がっても曲がっても宿一つ見当たらない

地図上でもバスと塔ノ沢の距離は一向に縮まらない

 

あぁ、あの人、歩いてるではないか

あ、あそこにも歩いて下山している人がいる

あそこに丁度いい茂みがあるではないか

ちょっとでもいいから私と入れ替わってくれよぉ

 

40分経っても塔ノ沢にはつかなかった

私はずっと我慢していた

もう悟りを開いていた

精神統一しなければ、ちょっとしたはずみで漏れてしまう

 

やっとの事で塔ノ沢、ここまでで1時間かかっていた

「ほんっと、ご迷惑おかけしましたっ」と飛び降りた

バスの人の冷たい視線を浴びながら、ヨロヨロ歩いていく

 

塔ノ沢に着いたはいいものの、見える旅館は一つしかなかった

あそこで断られたらもう一貫の終わりや

その辺の草むらで用をたすしかない

 

一縷の望みをかけて旅館を目指した

化粧もしてない、旅疲れのジーパンはいた大学生

旅館が近づくにつれて後ろの彼が何か言いだした

「ここはっ、もしやっ」

その時、黒いスーツを着た貫禄あるホテルマンが迎えに来られた

「あぁ、やっぱり。ここは僕が調べた中で一番高い旅館だよ」

と後ろで彼は言っていたが、私にそんなことは関係ない

 

おしっこさえできれば、高級な旅館だろうがボットンだろうがなんでもいい

その貫禄あるホテルマンは、化粧もしてないジーパン族の私に一礼して

「お客様、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」とおっしゃる

 

私はもうかれこれ1時間以上もトイレを我慢し、心も体も乱れまくっていたが

かなり平気を装って

「あのぉ、差し支えなければお手洗いを拝借したいのですが」と育ちの良さをアピールしながら尋ねた

 

貫禄のあるホテルマンは一瞬戸惑うたが、すぐに気を取り直し

「もちろん、大丈夫ですよ、こちらへどうぞ」

ととてつもなく高級そうな自動扉に導き、化粧もしてないジーパン族の私たちはその一泊10万円もする旅館に足を踏み入れたのであった

 

「こちらがお手洗いです」と案内された場所は

ここがトイレなのかと思うほどに広く金色に輝いていた

私はそこで1時間以上にわたる悩みのタネを流し、そそくさと旅館を後にしたのだった

 

〽︎箱根の山は天下の嶮

どんなにそう歌われようとも私は一生箱根でバスには乗らない

〽︎箱根の山は天下の嶮

どんなに険しく過酷な道だろうと旅する武士のごとく歩いてみせよう

〽︎箱根の山は天下の嶮

いろんな意味で険しい難所の箱根旅行だった

5年後の未来と高校生

高校の友人と半年ぶりに電話した

 

時折気にかけて、私の生存状態を確認してくれるとても優しい友人である

話は「コロナが落ち着いたら会おう」という話題から始まる

 

久しぶりに話してみるとやはり高校の輝かしい時代を思い出さずにはいられない

彼女にとっても私にとってもあの頃は、毎日がエブリデイのように楽しかった

こんなつまらないギャグでも、箸が転がっても大爆笑の日々だったのである

 

彼女はクラスの誰よりもなんでもできた

勉強も実技も体育も

男勝りで頼り甲斐があって何より頭が切れて面白い

 

だから私は最初はあまり打ち解けられなかった

打ち解け方もわからない

スキがない(昨日も彼女はこれが自分の難点だと嘆いていた)

 

高校時代の私は彼女が思っているよりも彼女に対してすごく気を使っていたと思う

席が近かったし、同じ部活だったから必然的に仲良くなったけれど

それでもすごく気を使っていた

そのくらい、彼女には嫌われたくなかったのかもしれない

 

そんなことは置いといて、昨日の電話

「なんでこんなスキのない女と思われるんだろ、私なんて授業中寝てるかペン食ってるかくらいしかしてなかったのにね」と彼女のたまう

「いやいや、やっぱりあなたはスキのない女よ。私もそう思ってるし、実際授業中寝てても全部100点取っちゃうんだから」などと言って懐かしがった

 

懐かしかったので本日、高校の写真を見返してみた

ラインの高校のグループには3年間の私たちの写真が残されている

携帯禁止だったのに、なぜこんなにも写真が撮られているのか不明

 

それをみていたら彼女、ほとんどの写真でパンをくわえている

体育祭の写真も、また別の日の日常の写真も、全てパンをくわえている瞬間を撮られている

どうしてここまでパンを食ってる写真が撮られているのか、それだけで写真集が出せそうである

彼女が音楽家として有名になり、若い音楽家にいばりちらしていたらこの写真集を出してやろう

そうしてまた笑っている私がいた

 

高校時代、私は毎日今日起こった面白い話を母に話していた

「今日ね、〇〇ちゃんがね」という具合に、最寄駅から家までの20分永遠話していた

卒業が近づくたびに「今日このことでこんなに笑ったこと忘れないようにしよう」と誓ったが、もう思い出せない

 

一度、授業が授業にならない授業があった

英語の授業、先生が「はい、この和訳〇〇くんお願いね」と数少ない男子にお願いする

その彼はMike(マイク)をいきなり「マイケルジャクソンが~」と訳したので、それに笑った一人の生徒が笑いすぎて沈没した

それにつられて遠くの席の生徒が笑い出してまたもや沈没した

そしてクラス中にそれが伝染して、先生までもが笑い出して最後まで授業にならかった

 

箸が転がってもおかしい年頃である

もう涙流して、笑いすぎて机に突っ伏してしまった友人を見てまた笑っていた

 

高校の先生というのもまた独特で、高2の古文の先生がかなり独特の女教師だった

笑わない、早口、パキっパキっパキっという感じである

他のクラスで嫌われている先生を好む習性があったので、うちのクラスでは気に入られていたけれど笑わない

ある日の授業、べらぼうに明るいだけで生きているクラスメイトを先生がさした

「では、〇〇さん。紫式部は誰に仕えていましたか?」

「えぇと、、、なかみやしょうこっ!」

クラス中がまたもや爆笑の渦に巻き込まれた

もちろん中宮彰子のことであるが、彼女はそれを”なかみやしょうこ”と信じてはっきりとそう発言したので、それもおかしくって本当に涙が出た

そっと先生の方を見ると、先生もさすがに笑っていた

彼女が笑ったのは後にも先にもそれだけである

 

これは本当に一部である

本当に毎日涙が出るほど笑っていたのだけれど、何で笑ったかは思い出せない

 

そして昨日話していてもう一つ気づいたことは、“未来は予測できない”ということである

高校生の頃想像していた未来とは全く違う世界を生きている

結婚するといった友人は自衛隊の音楽隊員として北海道に消えていった

体育の準備運動もろくにしなかったくせにどうしてるんだろうと昨日の友人は心配していた

イルカと泳ぐという衝撃的な趣味を始めた友人もいる

私もまさかフリーターになってるとも思わなかったし

彼女は悪いオトコと縁が切れない

 

5年後も予測できないのだから、10年後や20年後など考えても無駄である

1年後には子供がいるかもしれない、海外に住んでるかもしれない

お笑い芸人になってるかもしれないし、女優を目指しているかもしれない

 

人生、予測不可能

どんなに地に足つけていても、未来は見えない

後から振り返って、「そういえばあの頃」と考えている時間が一番幸せなのかもしれない

 

彼女と電話を切った後、また母に電話のことを逐一話していた

今日何があったかを母に報告するという習慣だけは変わっていないようである