それもまた人生

投稿日:

昔、オトコは狩猟のために五感を磨き

特にその方向感覚に優れていたらしい

 

陽が昇れば太陽の位置で自分の場所を把握し

夜になれば月の満ち欠けと北極星でそれを把握した

 

男性が地図を読むのが得意なのは、本能的なものらしい

逆に女性は常に家におり、その必要がなかったため地図を読むのが苦手だということらしい

 

その原理で考えれば、私はオトコということになる

 

数多ある長所の中で、一番秀でているのがこの方向感覚である

道に迷ったことは一度しかない

かの新宿駅の中で、思うような出口に出会えずにトイレに篭ったのが後にも先にも”道に迷った”出来事である

もはや新宿駅は、田舎者にとっては迷わずに出ることは不可能であるからこれはチャラにしよう

 

ということで私は今までの人生で道に迷ったことがない

 

一度通った道なら何の迷いもなく目的地にたどり着ける

今私がどこにいるのか、東西南北どちらを向いているのか

太平洋がどっちで、日本海がどっちなのか

富士山がどこにあるのか

それらが瞬時にわかるという特殊能力を持っている

 

しかし、右と左が未だに覚えられない

今でも「右手で持って~」と言われると、小学校の教室の様子を思い出し時計がある方を右だと心得ている

「左手でさ~」と言われるともっと複雑で、まず小学校の教室の様子を思い出し時計がある方を右手とするならばその逆が左手であるという風に考える

 

話が逸れたが、左右がわからずとも東西南北がわかれば迷わない

地図さえあればどこへでもいけるのである

今まで出会った人の中でも随一の能力だと信じている

 

しかし、私の周りにはそれはそれは地図の読めない人が多い

私の彼はオトコであるにもかかわらず、地図が読めない

それで一度大げんかしたこともある

その日は浅草の雷門集合だった

どこの駅で降りても、「雷門」という看板がいたるところにあり、それに従ってゆけばつくものを、彼は小一時間ほどさまよい、全く別のところに行ってしまっていたのである

「浅草文化会館の前にいる」と電話越しに聞いた私は憤慨し、どうしてどうやって雷門を目指せば浅草文化会館につくのか不思議で仕方なかった

 

地図を読むのも、道をゆくのも私にとっては快楽なため

車での移動は非常に楽しいものである

助手席から東西南北を確認しその目的地までを頭の中で描く

 

昔はカーナビなどなかったために、車の中に地図があった

今でも祖父は地図を開いて旅行先までのルートを確認する

私もその隣に座ってそれを見ている

そして祖父とあーだこーだ言って目的地まで指で追うのが楽しいのである

 

しかし人生には地図がない

「〽︎地図さえないそれもまた人生」と美空ひばりも歌っている

いくら地図が読めても人生の地図が読めないならば意味もないかもしれない

目的地までを指で追うのが趣味ならば、人生の目的地までを指で追うのも好きなのだが

なかなかうまくいかない

紙上では平坦だと思っていたのに、いきなり急な坂道が現れたりする

思い描いていた道はいつのまにか通行止になっていて回り道をしなければいけなくなる

そうしているうちに目的地まで失って、「はて私は今どこに」と頭を悩ませる

 

ロングショットで見れば単純なことも、クロースアップで見ると大変に起伏が激しい

そうしてヨットコしているうちに、また違う道が現れる

分岐点が増えるほどに目的地が霞んでゆく

それでも選ばなければならないのが人生なのかと、どちらかを選んでみる

そうして選ばなかった方を悔やんだことはないけれど、目的地は日に日に変わっていく

 

人生にも東西南北、太平洋富士山があれば簡単なのだけれど

どうもそれにはそういう指針はないらしい

シンドバットが言うように、心のコンパスを信じて進むしかないのだろうか

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です