家族でハマっていたのが『こち亀』でした。
なので小学6年生で行った葛飾・柴又への日帰り旅行は今でも鮮明に覚えています。
その頃、『こち亀』のドラマがやっていて夢中で見ていました。
主題歌の『葛飾ラプソディー』も大好きで今でも歌えます。
帰りがけに、中川の上にかかっている橋を通った時に「あぁ、これがあの”中川”か~」と思いました。
葛飾と柴又は、ずっと前からとても身近なものでした。
『寅さん』なんて見たこともないし、きっとその時初めて知った昭和のスターでした。
小学生二人を連れて、親は寅さん記念館に向かっていました。
正直乗り気ではなかったし、そもそも親も寅さんを観たことがあるのか不明です。
おじいちゃんは今でもよく寅さんの映画を見ています。
江戸川沿いの住宅街にそれはありました。
四角いコンクリートの建物で、全然楽しくもなさそうでした。
でも、一歩足を踏み入れた途端にわたしはすぐに寅さんの世界にハマってしまったのです。
ここが好き!大好き!
その頃からわたしは”昭和”というものに取り憑かれているのです。
帰ってきたという感じさえするのです。
昭和を生きたことがないのに。
寅さん記念館は意外と皆行っていないので、寅さん世代の人は絶対に行ったほうがいいと思います。寅さん世代の孫でさえこんなに感動するのですから。
寅さんは昭和を代表する作品です。
昭和と言ったら寅さんだし、寅さんと言ったら昭和です。
大学2年生の時、音響の授業で”昭和”を表現したいと思いました。
豆腐屋の笛や商店街の活気を音に入れたりしましたが、先生にコテンパンにやっつけられて泣いてしまいました。
それでもわたしは”昭和”を捨てられなくて、その時に思い出したのが寅さんでした。
『男はつらいよ』の冒頭部分をピアノで弾きました。
”レーシレミラソミレー”
それだけで懐かしい昭和の和音が完成しました。
音響の制作はその和音を中心に進めていきました。
最後に先生が「なんでその和音にしたの?」と聞いてきて「『男はつらいよ』のテーマから取りました。昭和と言ったら寅さんだと思ったからです。」と答えたらとても満足そうにしてくれました。
寅さん記念館には大学生の時にもう一度行ったことがあります。
彼と付き合ってすぐの時に、デートで行きました。
その時感じたのは、小学6年生の楽しい思い出でした。
親は離婚したのでもう家族全員で旅行することは一生ないのです。
でも葛飾柴又に行けば、あの頃の思い出が色濃く残っていてわたしは小学生に戻れます。
こち亀を読み漁ったあの頃を。中川に沈む夕日を。寅さん記念館の壁を。
大学生になったわたしは、江戸川沿いを歩きながらやはり”ここ”が好きだなと思いました。
そう言っているわたしはまだ寅さんを観たことがありません。
50作くらいあるので、DC映画を見るのと同じくらいの時間がかかります。
それでも最近「寅さんの妹さくら」というのが定着しつつあるので、やっぱり観ようと思います。
また好きなものが増える気がします。