蝋梅

蝋梅が咲いたのを見た

春がもう、すぐそこまで来ている

 

今年はこんな世の中だから、季節も気を利かせて春を早めに持ってきてくれたらしい

冬が短くて、だけど不安が黒く立ち込めて分厚い雲が出来上がっていた

取り払うすべは誰も知らなくて、ただただ待つことしかできない

そんな冬が終わる

 

さんかんしおんってなんて素敵な響きだろう

今年ほどこの言葉に救われる年もないだろう

急速に進む春への準備に、てんやわんやで追いかける人たち

でもそれは心から待ち望んでいた希望の花びら

 

梅が咲いた

向こうのほうに白い花

桜かしらと首を傾げて向かっていくと、それは梅の花であった

強くておてんばで、末っ子のような梅の花

 

桜を待っている人がいる

あの通りが一面にピンク色になる一週間

散っていく桜を愛でる日本人

あぁ今年ほど桜を望む年もない

 

蝋梅が消えた

薄い黄色の花びら

蝋でできたように半分透明な可憐な花

初めて見た時の高揚感

蝋梅なんて、そう、ぴったりだわ

 

2月に黄色は似合わない

それでも蝋梅は春を知らせる

一番先にやってくる

牡丹が萎んだら、彼女たちの出番

 

自転車が春を連れて来る

光を待ちわびた私の元へ

母校の制服

駅で母校の制服を着た女子高生が前を歩いていた。

もう、何年も前のこと。

私も彼女たちのようにクシャクシャのスカートに髪の毛だけはクルクルばっちり決めて、毎日生きていた。

 

あの頃の方が悩みは多かったかも知れない。

でも今の方が悩みは大きい。

あの頃どうやってそれらを切り抜けていったのか、思い出せない。

ただ友人たちの顔がチラつくだけ。

 

今は独り。

前にも後ろにも上にも下にも、どこにも進めないこの夜に、彼女たちのスカートの裾がひらりと思い出される。

 

根本的には何も変わっていない。

いい意味でそれは、私を勇気づける。

無駄に思える毎日を生きてきた。

今から思えば、あんなにキラキラしていたのに。

 

明日のことなんて考えずに、今何を感じているのか、目の前にあるテストに悪戦苦闘していればよかった。

 

テストのように答えのない人生に、無理矢理答えをつけようとするのは義務教育のせいにしよう。

テストだけ頑張ればいい大学に入れる、ただそれだけに生きていた私に感謝しよう。

 

そうして世の中に放り出されて、この道を選んで、本当に答えが見つからなくて困っている。

笑えるでしょ。笑ってよ。

四方八方塞がれて、越えるには目の前の壁を登るしかないことくらいわかってる。

けれど超えた先に何がある?

 

いや、捻くれるのはやめにしよう。

捻くれるだけ回り道。

 

一目惚れで生きてきた。

チャップリンの映画を観て映画を勉強しようと大学へ進んだ。

大学が終わる頃、就活の真っ只中、あるイラストレーターさんの作品を見てイラストレーターになろうと思った。

さくらももこのエッセイを読んでエッセイイストになろうと思った。

阿木燿子さんの詩を聴いて作詞家になろうと思った。

 

てんでバラバラに見えるかも知れないけれど、根本的な部分では同じところを目指しているらしい。

自分を表現したい。

ただその方法が、手段が定まらない。

どれもこれも手を出して、中途半端に壁にぶち当たる。

どれかで悩んだら、ついでに他の悩みも連れて、一緒に壁にぶち当たる。

 

最終的なゴールは見えているのに、道筋が全く見えない。

この壁を超えた先に私の目指すべき未来が待っているのか。

 

制服に包まれていた頃は必死だった。

目の前のピアノの課題に。

ピアノさえ弾いていれば(上手い下手に関わらず)私でいられた。

今になって思う。

 

今は他のものもある。

だから悩んでいるのだけれど。

 

そっか、高校生の頃から変わらない。

何かに取り憑かれて、手探りで探している。

 

ふわりとスカートの裾が舞うたびに、片手で押さえて髪の毛を直す。

彼女たちが、今の私の年齢になる頃、私はちゃんと見つけているだろうか。

未来を、今夜は眠れない。

わたしの中のナオミ

バイトから帰ってきた途端に、どっと疲れてベッドに倒れ込む。

はぁこうゆーときは好きな歌を聴くのが1番だよね~、とApple Musicを探してもあれもこれも聞き飽きた曲ばかり。

ついでだから聴いたことないアルバムでも聴くかと沢田研二の『思い切り気障な人生』を一曲づつ聴いてみる。

はいドンピシャ、心も体も元気になりましたびっくりドンキーコング、やっぱ私はこの時代。

 

『ラム酒入りのオレンジ』という曲がこの間読んだ谷崎の『痴人の愛』にそっくりで、リズムも音も歌詞までも一目惚れ。

 

ちなみに、『痴人の愛』はそんなに好きでない。

どういう話かというと、(ここからはネタバレ)ある男、もう30手前くらい、が15の少女に目をつけて、「僕がなんとかしてこの子を素敵な女性に育てよう」という理由で引き取り、一緒に暮らし、まあ果てには結婚するんだけれども、その女、ナオミは頭は良くならず体だけどんどん魅力的になっていくわけですね。それで、まだその当時18とかで若いわけですから、流行のダンスに行きたいということでダンス教室に通ったり、そこで知り会った慶應学生の男子らと仲良くなったりするわけです。月日は流れて、男はやっとナオミの貞操観念の緩さに気がつくわけですね。つまり今まで男友達だと思っていた慶應学生の全員と体の関係を持っていたわけです。なのにナオミはいつも「私のこと男と思ってちょうだい、皆私のこと男と思ってるんだから」なんて言って、男の方は何年も気が付かないまま。全てを知った男は彼女を追い出すわけです。しかし段々とナオミが恋しくなるわけですね。ナオミの方も一文なしで追い出されてツテはありますから、いろんな男の家をてんてんとしますが、なんとなくその男のところにひょっこり現れ始めます。最初は「荷物を取りに来た」と言ってすぐ帰るのですが、男の気が緩んでいるうちにすっと懐に入ってくるんですね。それで結局、夫婦に戻るわけですが、男は今後はナオミの“遊び“については一切口出ししないという約束をするわけです。彼女が他の男と寝ても、彼女と離れるよりはマシというのでしょうか、惚れた方が悪いというのでしょうか。ナオミは23歳、これからもっと妖しく女性になる歳で物語は終わります。

 

なぜ好きではないかって?

ナオミが憎たらしい、男が情けない、いやこれが本当の理由じゃない。

私の中にナオミがいるからなお憎らしいのです。

本の中の憎たらしい女の要素が自分にもあることが憎たらしい。

挙句には「なんて羨ましいのだろう」なんて思ってしまうのです。

ナオミのように生きられたら、なんて。

 

話は戻りまして、沢田研二の『ラム酒入りのオレンジ』、歌い出し。

「オレンジみたいな人と思って唇触れてみたら、めまいがしそうなラムの匂いに心を奪われたよ。あどけない顔は誘水だよ。」

純粋そうな、まだあどけなさの残る少女だからって気を緩めていたら、なんという妖しさ艶かしさ、知れば知るほど深い沼にハマっていく。女の方は些か冷静に、その温度差を利用して、男の方は利用されているのを知りながら抜け出せない。愛しているの。それが男と女。

あぁまさに『痴人の愛』。

谷崎も、この歌詞を書いた阿久悠も男だけど、男の方が女の心の底の願望みたいなのをちゃんと理解している気がする。

 

私の中のナオミ。

消したくても消せない幻、別に男を利用しようなんて思ってないけど、もしそんなことができたらなんてかんがえてしまう。

もちろんこんな女、女友達からは嫌われる。

なぜかって、女の中には少なからずナオミがいるから。

ナオミ度が高いほど、羨ましいと同時に憎らしくなってくる。

純粋さの裏に隠した妖しい光に、男がまんまと引っかかるのも楽しくない。

でも自分がもしナオミになれたなら、男を取っ替え引っ替え気の向くままに。

ナオミ、ナオミ、ナオミ。

オレンジの中のラム酒。

小春日和

桜の花が間違って咲いてしまうほど、春らしい日々が続きます。

 

私が桜の花なら春だと思って咲いてしまうかしら、いやいや周りの様子を確かめてから行動するタイプだから皆と同じに咲くかしら、いやいやタイミングを見失って皆がキレイに散り始めた頃に満開に咲くのではないかしら、と暇なので一日中考えています。

 

私の中には、この3つの性格が同じくらい存在しているのでなってみないとわかりません。

 

時には、激しくせっかちなところがあり、何事も少し前に終わらせていないと気が済まない、そんな一面もあります。

時には、周りの空気を読みつつ早くも遅くもなくいる方が1番楽だったりします。

時には、最初の一歩がなかなか踏み出せずにいるうちに最後の1人になってしまうこともあります。

 

バイトをしている時は異常にせっかちです。

終わる時間の1時間前にはすべての作業を終わらせています。

1時間前行動をしないと気が落ち着かないのです。

 

スポーツをやるときなどはまさに目立たないように空気になります。

そこに私の出る幕はないので、周りと一体化することに全集中しています。

スポーツに限らず、私が思うどうでもいいことや興味のないことは基本皆の歩幅に合わせています。

 

友人を飲みに誘うときは、最初の一歩がなかなか出ません。

先日はオンライン飲み会に誘うまでに半年かけてしまいました。

「あぁあの人とおしゃべりしたい」と思ってから声をかけるまでがとても長いのです。

その間に友人は北海道へ行ってしまいました。

 

全て私なんだなぁと思うので、小春日和に間違えて咲いてしまっても受け入れていくつもりです。

小春といえば、私は娘に小春という名をつけるつもりです。

まだ結婚の約束も、もちろん妊娠もしていませんが、女の子なら小春にします。

単なる思いつきです。意味は特にないのです。

呼びやすくて、日本人らしくて、可愛らしい。

そして何より、この名を思い浮かべたときに私はビビビと来てしまったのです。

これしかない!と思いました。

松田聖子のビビビ婚のようにならなければいいのですが、私は自分の直感にはかなりの自信があるので誰がなんと言おうと娘は小春にします。

 

久しぶりにエッセイを書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。

こんな他愛もないことを、こんな大変な世の中の中で考えているのです。

眠れない夜もあるけれど、生きていることが愛おしく感じる今日この頃です。

葛飾ラプソディー

家族でハマっていたのが『こち亀』でした。

なので小学6年生で行った葛飾・柴又への日帰り旅行は今でも鮮明に覚えています。

 

その頃、『こち亀』のドラマがやっていて夢中で見ていました。

主題歌の『葛飾ラプソディー』も大好きで今でも歌えます。

帰りがけに、中川の上にかかっている橋を通った時に「あぁ、これがあの”中川”か~」と思いました。

葛飾と柴又は、ずっと前からとても身近なものでした。

 

『寅さん』なんて見たこともないし、きっとその時初めて知った昭和のスターでした。

小学生二人を連れて、親は寅さん記念館に向かっていました。

正直乗り気ではなかったし、そもそも親も寅さんを観たことがあるのか不明です。

おじいちゃんは今でもよく寅さんの映画を見ています。

 

江戸川沿いの住宅街にそれはありました。

四角いコンクリートの建物で、全然楽しくもなさそうでした。

でも、一歩足を踏み入れた途端にわたしはすぐに寅さんの世界にハマってしまったのです。

ここが好き!大好き!

その頃からわたしは”昭和”というものに取り憑かれているのです。

帰ってきたという感じさえするのです。

昭和を生きたことがないのに。

 

寅さん記念館は意外と皆行っていないので、寅さん世代の人は絶対に行ったほうがいいと思います。寅さん世代の孫でさえこんなに感動するのですから。

 

寅さんは昭和を代表する作品です。

昭和と言ったら寅さんだし、寅さんと言ったら昭和です。

大学2年生の時、音響の授業で”昭和”を表現したいと思いました。

豆腐屋の笛や商店街の活気を音に入れたりしましたが、先生にコテンパンにやっつけられて泣いてしまいました。

それでもわたしは”昭和”を捨てられなくて、その時に思い出したのが寅さんでした。

『男はつらいよ』の冒頭部分をピアノで弾きました。

”レーシレミラソミレー”

それだけで懐かしい昭和の和音が完成しました。

音響の制作はその和音を中心に進めていきました。

最後に先生が「なんでその和音にしたの?」と聞いてきて「『男はつらいよ』のテーマから取りました。昭和と言ったら寅さんだと思ったからです。」と答えたらとても満足そうにしてくれました。

 

寅さん記念館には大学生の時にもう一度行ったことがあります。

彼と付き合ってすぐの時に、デートで行きました。

その時感じたのは、小学6年生の楽しい思い出でした。

親は離婚したのでもう家族全員で旅行することは一生ないのです。

でも葛飾柴又に行けば、あの頃の思い出が色濃く残っていてわたしは小学生に戻れます。

こち亀を読み漁ったあの頃を。中川に沈む夕日を。寅さん記念館の壁を。

 

大学生になったわたしは、江戸川沿いを歩きながらやはり”ここ”が好きだなと思いました。

 

そう言っているわたしはまだ寅さんを観たことがありません。

50作くらいあるので、DC映画を見るのと同じくらいの時間がかかります。

それでも最近「寅さんの妹さくら」というのが定着しつつあるので、やっぱり観ようと思います。

また好きなものが増える気がします。