駅で母校の制服を着た女子高生が前を歩いていた。
もう、何年も前のこと。
私も彼女たちのようにクシャクシャのスカートに髪の毛だけはクルクルばっちり決めて、毎日生きていた。
あの頃の方が悩みは多かったかも知れない。
でも今の方が悩みは大きい。
あの頃どうやってそれらを切り抜けていったのか、思い出せない。
ただ友人たちの顔がチラつくだけ。
今は独り。
前にも後ろにも上にも下にも、どこにも進めないこの夜に、彼女たちのスカートの裾がひらりと思い出される。
根本的には何も変わっていない。
いい意味でそれは、私を勇気づける。
無駄に思える毎日を生きてきた。
今から思えば、あんなにキラキラしていたのに。
明日のことなんて考えずに、今何を感じているのか、目の前にあるテストに悪戦苦闘していればよかった。
テストのように答えのない人生に、無理矢理答えをつけようとするのは義務教育のせいにしよう。
テストだけ頑張ればいい大学に入れる、ただそれだけに生きていた私に感謝しよう。
そうして世の中に放り出されて、この道を選んで、本当に答えが見つからなくて困っている。
笑えるでしょ。笑ってよ。
四方八方塞がれて、越えるには目の前の壁を登るしかないことくらいわかってる。
けれど超えた先に何がある?
いや、捻くれるのはやめにしよう。
捻くれるだけ回り道。
一目惚れで生きてきた。
チャップリンの映画を観て映画を勉強しようと大学へ進んだ。
大学が終わる頃、就活の真っ只中、あるイラストレーターさんの作品を見てイラストレーターになろうと思った。
さくらももこのエッセイを読んでエッセイイストになろうと思った。
阿木燿子さんの詩を聴いて作詞家になろうと思った。
てんでバラバラに見えるかも知れないけれど、根本的な部分では同じところを目指しているらしい。
自分を表現したい。
ただその方法が、手段が定まらない。
どれもこれも手を出して、中途半端に壁にぶち当たる。
どれかで悩んだら、ついでに他の悩みも連れて、一緒に壁にぶち当たる。
最終的なゴールは見えているのに、道筋が全く見えない。
この壁を超えた先に私の目指すべき未来が待っているのか。
制服に包まれていた頃は必死だった。
目の前のピアノの課題に。
ピアノさえ弾いていれば(上手い下手に関わらず)私でいられた。
今になって思う。
今は他のものもある。
だから悩んでいるのだけれど。
そっか、高校生の頃から変わらない。
何かに取り憑かれて、手探りで探している。
ふわりとスカートの裾が舞うたびに、片手で押さえて髪の毛を直す。
彼女たちが、今の私の年齢になる頃、私はちゃんと見つけているだろうか。
未来を、今夜は眠れない。