卒業の季節になったら、やはり卒業ソングを聴きたくなる。
1年前に大学を卒業した私は、もう当事者になることはないけれど、3月のこの切ない気分だけは忘れられない。
高校を卒業する時には、『3月9日』が私の中に広がっていきました。
高校の三年間は私の人生にとって大事な転換期でした。
思春期の迷いもありました。青春の輝きもありました。
中学生の時にいじめられて、素の自分を出せず人に合わせて生きていました。
そういえばこの前、あの頃の夢を見ました。
ある日学校に行ったら、クラスの隅で何人かがこそこそ話しています。
男子は大きな声で私のことを、あぁ、ここには書けませんがひどいあだ名で呼びました。
部活でも先輩に無視されたり、キツく当たられたり、あれらがトラウマになってその後の自分の性格にいい意味でも悪い意味でも影響を及ぼしたのは間違いありません。
話は戻ります。
高校に入って、同じ音楽を志す友人に囲まれて知ったのは「自分は自分でいてもいい」ということでした。
彼女たちはいい意味で‘自分に夢中‘だったのです。
だから、誰がどういう人でも自分に害がなければ受け入れてくれました。
女子ばかりだったけれど、グループとかはなく、お昼も皆各自で自分の席で食べていました。
個性が強くて、一人一人が輝きたいと、抜きん出てやろうと、その活気が好きでした。
素のままで輝いている友人に囲まれていました。
だから私も素の自分を出せるようになったみたいです。
素の自分を受け入れてくれたクラスメイト。
素の仲間を受け入れた私。
思春期の葛藤も青春の汗も全てをシェアした彼女たち。
そうした仲間に囲まれていたので、『3月9日』の「瞳を閉じればあなたが、瞼の裏にいることで、どれほど強くなれたでしょう」という歌詞が胸に刺さりました。
三年間あなたといれたから私はこれからも生きてゆけます、と高校最後の日に思ったのです。
大学を卒業するときは、何曲か聴いていました。
竹内まりあ『オンザユニバーシティストリート』はいつも歩いている“大学の通り”をテーマに別れを惜しむというものです。
私の大学は二つの校舎に分かれていて、横浜の校舎は5月には正門から校舎まで青々とした新緑が新しい1年生を迎えます。白金の校舎は銀杏並木で秋にはマスタード色に染まり、より艶やかに青春を彩っていました。
そんなことを思い出しながら聴いていると、大学でのあれこれが蘇ってくるのです。
私の入っていたサークルは、横浜の校舎を拠点にしていたのでやはり「ユニバーシティストリート」と言われると横浜の校舎を思い出します。
バンド練終わりに友人と歩いた夜のユニバーシティストリート。
何を話していたのか、何に笑っていたのか覚えていないけれど、私が見た友人の背中(時には楽器を背負って)を忘れることはないでしょう。
チューリップの『笑顔で』も別れという悲しい感情とは真逆の、軽快なリズムや突拍子もない歌詞が好きでよく聴いていました。
「人生の意味、そんなことは照れて話しないけれど」という歌詞から始まるので、拍子抜けするのです。
でもこういう時期って特にそういうこと考えるんです。
私たちが過ごした時間は、この人生の中でどんな意味があるんだろう、いつかは忘れてしまうかも知れない、こんなに素敵な毎日なのにって。
「過ぎゆく季節を友と過ごせたから」、そう花火を見た空も秋風にさらされた夜も吹雪く雪を眺めていた朝も周りには友人がいて、一人じゃなかった。悲しくなったらそれを思って生きてゆこう、そう思えます。
さだまさしの『主人公』
「あなたの眩しい笑顔と、友達の笑い声に抱かれて、私はいつでも必ずきらめいていた」という歌詞も好きです。
これは大学を卒業して3ヶ月くらいしてから知った曲ですが、だからこそ、そう自粛期間もありましたし、あの頃の自分と重ね合わせて、あぁあの時私はきらめいていたなぁと思ったのです。
寂しい夜には特に友人の顔を思い出します。
岩崎宏美の『学生街の四季』
さすが阿久悠、今思い出せる大学の記憶は確かにこういうものでした。
「学生街に吹雪の冬が来て、みんなストーブ囲み集まる
別れの時が来るのを知りながら、ビールのジョッキをあげたわ」
サークルが私の居場所になってから別れの時が悲しくて、それでも時は無常に過ぎ。
2月の終わり、長野のロッジ、冬合宿、大学4年生の私、外は雪。
音楽をしようとスタジオへ向かうにも、雪が吹雪いて一苦労。
濡れた足を気にせずに、雪で埋もれた道をただひたすらに歩いた。
ストーブを囲みながら昼から酒を飲み、酔って酔って吐いて後悔して、迎え酒。
別れの時を知りながら、私たちは学生を謳歌していました。
そんな記憶が蘇るこの歌詞を、私はなぜ今まで見逃していたのでしょうか。
最後に、私のとっても好きな歌詞をお伝えします。
別れる仲間に送った和田アキ子の『コーラスガール』の一節。
「旅先でいつか手紙を書くけど、幸せだったら返事はいらない」
今はS N Sの時代ですぐに友人と繋がれて近況もわかるけど、でも根本的には人との距離は変わっていない。
結局会わなきゃ、触れなくっちゃ、かすれていく、埃が被った思い出になる。
でも、それでも、あの時期を一緒に過ごした仲間だったら、いいよ、あなたのことはよくわかってるから、会えなくても会わなくても私たちって永遠でしょみたいな、意外にも幼稚で単純なことが実は一番知るべきことなのかもしれないと、この歌詞を読むとそう思えてきます。
私たちって永遠でしょって言える友人なんて本当に少ない。
でも、彼らがいるから私は今こうして元気で生きているという感じがするのです。
だからこの歌詞はそういった意味で、私の友人との時間や友人への思いを全て語ってくれているのです。
ここまで卒業に関する曲を徒然に書いてきました。
書いているとやはり、切なくなります。
人生のほんの刹那、出会った仲間、私が死ぬ時に思い出すのはきっとその刹那の記憶。
友人に囲まれて輝いていた日々、友人の声、一緒に歌ったあの歌、二日酔いの冬の朝。
誰かにこの歌が届きますように。
私の曲ではないけれど。