手を伸ばしても

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思い出がくっきりと残っている間は、私はいつまでもそこで生きていると信じていた。

そうやって何年も乾いた時を過ごして、気がつけばずうっと遠くまで歩いてきたらしい。

いつだって指先からすり抜けていく想いを、時間を、あんなに大切にしていたのに。

 

縁があって、この春私が通った高校の音楽科に入学する子と連絡をとった。

ラインで送られてきたのは入学式の日に出す書類で、部活動を決めるものだった。

音楽科は強制的に部活動へ入らなければならない。

オーケストラか合唱か、友達もできていないのに急にそんなことを迫られても、というのが彼女の文面から伝わってくる。

そして私は、同じくそれを選んだ先輩としてアドバイスしなければならないらしい。

私は記憶を遡り始めた。

8年前に私が感じたこと、教室の空気、制服の青さ。

 

何よりも、高校に入学してから8年も経っていることに衝撃を受けた。

最初のうちは元気な子の周りに人が集まる。

そうして何個かグループができて、ひと月ほどで消滅した。

 

友達を作るのに必死だった。

クラス40人、これから3年間を一緒の教室で過ごすのだ。

嫌われたら一貫の終わり。

惨めなハイスクールライフが待っている。

 

誰もがそう考えていた入学式の日。

信じられないほどに、キャッキャしたクラスメイト。

その中でも私は特にそうだった。

消したいほどに悲しい記憶。

 

部活動はその元気な子の勢いに押されて合唱部に入った。

そんな私が8年後に、どうやって部活選びのアドバイスをすればいいのだろうか。

「合唱なら声楽が、オーケストラなら器楽が副専攻になりますので、自分が習いたい副専攻で選ぶといいと思います」ともっともらしいことをラインに打ち込んだ。

 

そして8年目の友人にラインを打った。

彼女と初めて会話した日、場所、空気、全て覚えている。

なのに、あれから8年も経ってしまった。

彼女との思い出をかき集めるほど、高校3年間の密度が濃くなっていく。

濃密な3年間の後にやってきた大学の4年間がうっすらと霞んでいく。

そして気がついたら、という堂々巡り。

 

そしてこれから3年間、あの学校で気の合う仲間と過ごすその子が羨ましくなった。

今から振り返ってもあんなに輝いていた日々はない。

あの頃感じたもの全てが、それは劣等感や思春期特有の悩みが大半である、懐かしく心に戻ってくる。

気が立ってしょうがなかった日もあるし、泣きたいほど逃げたい日もあったのに。

 

もう一度戻りたいと思うのは、あの頃が一番感受性が豊かだったからかもしれない。

少しだけ大人になった私は、8年分だけ目が悪くなってしまったみたいに鈍感で、特に悲しくも劣等感もない毎日を生きている。

ちょっとのことで気が立ったり、怒ったりしなくなった。

 

手を伸ばしてももう届かない、その高貴な感受性があの頃の私を輝かせている。

 

私がどんなに手を振っても、制服を着た私は気が付かない。

気が付かないまま電車に乗ってしまった。

反対側のホームで、手を振るのをやめて

私も次の電車に乗らなければならない。

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