瀬戸の花嫁

『瀬戸の花嫁』っていい曲

島から島へお嫁に行く花嫁の気持ちを描いた歌詞

単純でありながら聴きごたえのあるメロディ

うん、好き

 

基本的には70年代の曲が好きなんだ

この曲も70年代の曲だけど、60年代っぽい感じがする

私の中の勝手な60年代の邦楽のイメージは、「愛が全て」というシンプルな構図

「愛があるから」「愛しているのよ」などという歌詞が多い気がする

「愛が全てに勝つ」というのが正しい表現かもしれない

でもそこに、これから始まる複雑な人間模様は存在しない

 

いうなれば19歳そこらで愛を知り、その愛が死ぬまであり続けると信じているような、そんな歌が多い。

それも好きなんだけれど、70年代に入るとフォークの影響か、「愛」だけでは到底人生は幸せにはなれないといった哀愁が漂い始める。

 

『瀬戸の花嫁』はその哀愁がまだ入いる隙もないところが60年代っぽいと感じる(個人の感想)

 

「若いと誰もが心配するけれど、愛があるから大丈夫なの」という歌詞がそれを思わせる。

”愛だけ”で嫁に行こうとしているから、誰もが心配しているのだ

でもそれに気づかない、愛を信じたまま嫁に行くという「若さ」がこの歌の魅力なのである。

 

だからこの曲はある一定の歳を超えたら歌えないのだ。

若々しさのある声で、屈託無く愛を信じている心で歌わなければ、この曲の良さは半減してしまう。

 

そう考えてみると、皮肉な曲のようにも感じるがそこに制作側の意図はないと信じたい。

60年代全体にそのような”純粋さ”があふれていたのだから

 

もちろんある一定の歳や、多くの恋愛を経てくると「愛」の脆さに気がついてくる

だからあの人と結婚して「あれから40年」と、綾小路きみまろが言うと笑いに変わるのだ

 

19歳の愛と43歳の愛と76歳の愛は違う

19歳の愛を忘れずにいられたらどんなに幸せなことだろうか

初めての壁

「20代のうちにたくさん悩め!悩め!」

これは友人が教授から言われた言葉だ

 

わたしも非常に同感(どの立場から)である

ということでこの道を選んだわけであるが、実際自分が悩みの渦中にあると

てんで駄目人間になってしまうのである

 

いつもは自信満々に生きているけれど

「こんにちは」と急にネガティブな自分が現れて

自分はなんでこんなに駄目なんだろうと落ち込む

落ち込んで悩んで見て見ぬ振りをすることもしばしばある

 

今回はイラストに関して、初めて大きな壁にぶつかった

うん、前々から気付いていたんだけど

授業の中でそれを指摘されて、涙が出そうになるのを我慢した

それでもその時言ってもらえなければずっと見て見ぬ振りをしていたかもしれない

 

わたしは「好きだなあ」と思う作家がいると猛烈にそれを欲してしまう

彼らの色やタッチ、世界観、全てが欲しくなる

そうして彼らの絵に似せて描くのが、今までわたしがして来た絵を描くことだった

いつも誰かの真似をして、そうなるのを夢見ていた

 

だから自分しか描けない絵というものがない

自分の個性はない

どこかで見たことのある絵をひたすら描いている

 

授業の中でそれを指摘されて、初めて気がついた

”絵を描くことを楽しんでいない”と

 

自分の世界観を追い求めるばかり、おろそかになったのは絵を描くことを楽しむこと

最初に「絵を楽しむ」「絵が描ける」があって「自分の世界、タッチ」が生まれるのだ

絵も描けないのに「自分の世界」は生み出せない

 

だからわたしは「絵を描く楽しみ」を見いだすことから始める

順番が逆だろと思うかもしれないが、わたしはやっとスタートラインに立ったのだ

 

図工の授業が楽しかった小学生の頃のように、毎日が図工の授業だと思えばいい

 

これはわたしがクリエイターになろうと決めて、初めてぶつかった壁である

それをここに残しておきたい

宝物について 23歳

宝物についてってもう書いたかしら

なぜか急に「私の宝物ってなんだろう」って考えてしまった

 

小学一年生の時、宝物を発表するという授業があった

6年間生きたなりに、悩み抜いて選んだ宝物

ケータイのおもちゃ

ありきたりなやつ

『もみじ』が流れるのがとっても魅力

トイザラスに連れて行ってもらうときの興奮

 

今、宝物を発表しろと言われたらどのくらい出てくるだろうか

 

この前、大切な友達が本をくれた

「これもうどこにも売ってないんだ」と言って渡してくれたその本は

今まで出会った本の中で一番私の手にしっくりきた

彼女がどこかの文化祭で買って、ページをめくり、大切に保管していたその本は

今の私の宝物

 

大学四年生の文化祭でもらったお花

多分白いガーベラだったと思う

人生の素晴らしく輝いていた日にもらった一輪の花は

今の私の宝物

 

初めて行った海外旅行のパンフレッド

行く前に何度も見返した折り目のついたページ

不安と期待にまみれた予定表は

今の私の宝物

 

う〜ん今浮かぶのはこのくらい

ずっと心にしまっておきたい、大切な思い出

白金高輪泉岳寺

今手元には『日本の唱歌』という本があるのだけれど、小学校の時に持っていた『ソングソングソング』を思い出す。

配られて六年間持ってたけれど、ほとんど使われることはなかった教科書である。

 

私は小学生の頃から日本の唱歌が好きだった。

前にも書いたかも知れないが、とにかく日本人の血が流れていることに初めて気がついたきっかけがこれらの唱歌だった。

 

なかでも『浜辺の唄』が好きで、詩の世界観や海への郷愁(海なし県なのに)、あぁ多分私は前世も日本人でこの海を見つめていたんだなぁ、きっとその時も「あぁ多分私は前世も大和の国生まれでこの海を見つめていたんだなぁ」と思っていたのであろう。

 

さて、この『日本の唱歌』というのには私の知らない歌もたくさん掲載されている。

馴染みの場所の100年前の姿を歌を通して見ることができる。

『鉄道唱歌』(明治33)は新橋から出発して神戸までの鉄道線沿いの風景や情緒を歌うのだが、私の母校の大学がある高輪泉岳寺も通る。

「右は高輪泉岳寺、四十七士の墓所、雪は消えても消え残る、名は千載の後までも」という歌詞である。

また別の曲『電車唱歌』(明治38)では「大門町の左には電車鉄道会社あり、ほどなく高輪泉岳寺、四十七士のあとも訪え」とある。

 

さて、誰の小説だったかエッセイだったか、最近読んだものの中にも「ついぞ高輪の四十七士の墓を訪ねることなく死ぬのだ」みたいなことが書かれていた。

太宰治の『人間失格』だったような気がする。

 

高輪といえば、今は高級住宅街。

億ションが並びハイカラな通りが続いている。

「ちょっとそこまで」という若い奥さんが億ションのエントランスから出てくる。

一台うん千万の高級車がソコココに停車している。

 

田舎者の私は、それを横目に学校へ急いだ。

走っていく日もあった、ゆっくり歩いていく日もあった。

しかしいつでもそこは、日本の金持ちが悠々と暮らす、別世界だった。

 

話は戻るが、高輪泉岳寺。

100年前の人はそこから「四十七士の墓」を連想するらしい。

さてそれはなんだろう。

Wikipediaによると、1701年から1703年の間に起こった敵討ち的な事件らしい。

藩主の敵討ちに参加した47人は、幕府に報告、その後幕府の命令で全員切腹。

その墓が泉岳寺にあるそうだ。

 

昔から歴史の足跡を見るのが好きだった。

故郷の100年前の様子が映っている写真を見て、私はそれを想像した。

 

二年間も通った大学の近くにこんなところがあるなんて。

しかも、今ではほとんど連想されない。

高輪といえばシロガネーゼ、億ション、金持ち、勝ち組。

100年前までは高輪といえば四十七士の墓。

死ぬまでに一度は行ってみたいと、太宰も書いているではないか。

 

大学を卒業してはや一年。

この春、もう一度高輪へ行こう。