ちゃんと見てるからねっ

「君は本当に頑張り屋さんだねぇ」

とこの人生で数十回は言われてきた

 

その度に戸惑い、迷い、照れ笑い、生きてきた

 

これは私のすごくありがたい才能なのだと思う

実際、全然頑張ってなんかない

何に対してもとても冷めた感情で接しているし、基本やる気のない毎日を送っている

 

就職もせずに

絵を描いて、ピアノ弾いて、平日の14時になったらテレビの前に陣取ってサスペンスを見る

あれ、この日常、小学生の頃と全く同じ

このどこに”頑張っている”瞬間があるのだろうか

 

だから全然頑張っていないのに、「あなたほんと、頑張ってるわねぇ」などと言ってもらえるのは、一種の才能だということになった

 

周りからは”頑張っている人”と思われているけれど、自分では全く頑張っていないので

就活の時に悩んだ質問はやはり「学生時代に力を入れたこと・頑張ったこと」である

 

自分で言うのもなんだけれど、私はなんでもまあまあ出来てしまうという、これまた運の良い奴なのだ

ちょっとコツを掴めば、大体のことはわかったし、人よりも出来たので、頑張るというよりは要領よく生きることに長けている

そして、その”まあまあできる”というのに甘んじて、何も頑張らなかった

 

結果、就活の時に頭を悩ませたのが先の質問である

記憶の中を探しても、思い浮かばないので私はとても虚しくなった

「頑張らないで生きてきちゃったなぁ」と思った

「これからも頑張らなくても生きていけるなぁ」とも思った

 

周りの就活生が何を基準にガクチカを選んだのかは知らないが、私はとりあえず「難しいジャズの曲に挑戦した」というのを選んだ

これだってよくよく考えてみれば、好きで好きでたまらない曲を弾きたいという欲望の元に突き進んでいたのだから、考えれば考えるほど「そんなに頑張ってないなぁ」と思っていた

でも他にないからそれしかなかった

 

偏屈な私はこうも思う

「最近頑張っている人見ないねぇ」と

めちゃめちゃ上から、何様だよっ

 

これは人との接触がほとんどなくなったからだろう

SNSの投稿は頑張っている振りにあふれているから、性格の悪い私はいちいちスクショして

「やばっ、なんでこんなこと投稿すんの、マウントか」と後で友達と笑うように取っておいている

そんな暇な私が頑張っているわけがない

 

頑張っているのを見せるのは恥ずかしいというのはあると思う

実際頑張っている人は全然そのそぶりを見せない

でも、その見せないようにしているのにちょっと垣間見えちゃう瞬間が好き

 

いつも練習室の表に名前が書いてある人

どこに行くにも分厚い論文を持ち歩いている人

失敗した時に隠せない悔しそうな顔

 

そういう瞬間に出会うと、たちまち私はその人に惚れてしまう

「そういうところ、私ちゃんと見てるからねっ」と心の中で応援する

私の友達にはそういう人が多い

皆、めちゃめちゃ頑張ってる!

私ちゃんと見てるからねっ

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