忠臣蔵の四七士の墓へ、やっと行けた。
泉岳寺にあるその墓は、私がいった時も、”ファン”が推しにお酒を供えるために少し賑わっていた。
港区の超一等地。
ちょっと風情は残っているけれど、都会の中に急に現れる江戸時代の風。
47個の墓が隣と間隔なく並んでいるのは、彼らが正座をし切られた頭を膝にしたまま埋められているからだ、と”ファン”が語っているのを盗み聞いた。
最初、住職さんが話しているのだと思って聞いていたが、振り向いたら”ファン”と思しき人が住職さんに話していたのだった。
主人を殺され、敵討ちをとった四七人の武士。
なぜ彼らが、今でも語り継がれるのか。
それは、その勇ましさもそうだけれど、敵討ちののちに”あえて”自ら幕府に申請したという武士に生きた生き様なのではないか。
そう考えながら泉岳寺を後にした。
泉岳寺から卒業した大学までが近かったので、同じ大学を卒業した彼と2年ぶりに学校を訪れることにした。
高輪という、高級住宅街の路地を歩いた。
地図は持たず、学校の隣の高層マンションを頼りに路地から路地へと進んで行く。
「ねえ、この家お洒落じゃない?いくらくらいするのかな」
「ねえ、あのマンションイタリア風だね。いくらくらいするのかな」
「ねえ、見てこの車。いくらくらいするのかな」
「ねえ、この家の土地広すぎない?いくらくらいするのかな」
と価格査定をしている間に学校へ着いた。
ちょうど授業が終わった時刻らしく、出て行く学生ばかりだった。
私たちは、校門の警備員に止められないかとヒヤヒヤしながら数年ぶりに学校へ入っていった。
それはあの頃と全く変わらずに、私たちを受け入れた。
廊下もトイレも、教室も、授業中の静けさも、私の知っているものだった。
その後、食堂で休憩をした私たちは、私たちよりも垢抜けた大学生に囲まれていた。
パーテーション越しの彼らは、紛れもなくあの頃の私だった。
それにしても、お洒落な人が多いなこの学校は。
彼が歩数でピクミンを育てているので、その後目黒駅まで歩くことにした私たちは、次は白金という地に足を踏み入れた。
「ねえ、このマンションさ、ロビー見てよ。あんなでかいソファー見たことないわ。誰が座るんだろうね」
「ねえ、ここだけ国が違うわ。建売だろうけど高いだろうね」
「ねえ、見て見て!あの人、あんな高そうなマンション入ってくよ。普通の人っぽいけどねえ。めっちゃ金持ちだろうね」
「ねえ、この家誰も住んでないみたい。千と千尋の最後の車みたいになってるよ。ほら蔓がタイヤに。こんな高価な土地なのに、どういうことなんだろうね」
目黒駅についた私たちはヘトヘトになりながら、最後の力を振り絞って電車に乗って帰っていった。
彼のピクミンはたくさん仕事をしてくれた上に、確実に増えた。
ピクミンが死ぬものでない、それだけでそのアプリが好きになった。